目に見えない存在からの言葉


正直に質問したり悩みを相談した時に頂い言葉の回顧録。至る「歓んで生きて!」と願っている存在がいらっしゃいます。亡き方からの言葉はプライベートに関わるので、ここにはガイド(宇宙存在・精霊・指導霊・普遍意識・ハイヤーセルフ)からの言葉、筆者の亡き家族の言葉や筆者の想い等を掲載しています。

2024.12.6(想いをまっすぐに)

私は故人セッションの当日以外は、通常受け取り拒否をしています。ところが時々頭が痛くなり、薬を飲んでも治らなかったり数日続く場合には、どうしても伝えたいのだな…と諦めて、受け取って書いてお伝えすることがあります。でもそれは、果たして本当に役に立っているのでしょうか?

「誰もが万有であり、唯一のもの。あなたが他に与えた影響は計り知れず大きく、かつそれは受け手の自由なので、そこに微塵も責を負うこともないのです。不安や心配ではなく、想いをまっすぐにブレないことです。」

これは実は全ての人に当てはまるそうです。自分が昨日家族の誰かにかけた言葉、職場や店等で言った言葉、知人や上司や同僚や部下に(選んだ)言葉で伝えた言葉、それらがさらにその方々が会う誰かへそのまた誰かへ…と限りなく何らかの影響を及ぼしていくのだそうです。ですからどう思うだろう?思っただろう?と不安や心配を持たないためにも、常に純粋に誠実な想いで(相手がどう思おうと)私はあなたの幸せを願っています、という想いで人と接することが大切なようです。気分もありなかなか難しいですが、気をつけたいなと思います。

そんなあれこれを考えていたら、お渡しした方々から素直な想いや感謝のお言葉が届きました。あぁこの方も、この方も愛や奇跡を周りに拡げていく方なのだなぁ!と嬉しくなりました。実は役に立つかどうか、何をどう解釈するかすらも、本当に受け手のご本人次第なのですね。いつも素直に、まっすぐな自分でいたいものです。

2024.12.3(神社にて③)

「陰の氣すらエネルギーに変えることができるのは△▽である。それを受けとり放出し拡大するのが〇/円環である。存在の全ては縁どられている。放出し続けてもいる。それを受けとり、伝え、喜びに震えて生きよ!

天や宇宙に向かえば、自ずと上を向く。己は真っ直ぐであろうか、曲がってはいけないと思い煩って生きる木はない。曲がるのもよし、またとない機を生きていることに気づいたからには、それを他と分かち合って伸びよ。木たちは皆、互いを知らぬ間に励まし、支え合って生きているのだ。そこに在るものこそ、目に見えぬ慈愛の波動である。」

2024.12.2(神社にて②)

「形にも形式(決まり事)にも名にも翻弄されず、本質を見ようとすることが肝要である。本質とはすなわち善である。他を否定、批判する時というのは、己を守らねばと思った時であり、多くは不安を感じてのことが発端である。その内容そのものはいかにもっともらしく聞こえても、そのことに囚われることなく、何故その者はそう発するに至ったかの心情の経緯を観れば、何も惑わされることなく平和でいられるであろう。

緑の葉が茶色く色づいたからと言って、嘆く必要はないのだ。あまりに後ろ向きにならず、だがしかし過ちを繰り返さぬよう心には要を留め、正々堂々と歩むことだ。お陰様で、という心持ちで。」

2024.11.28(神社にて①)

「空の氣でいつも抱きしめているがそれに気づく者は少ない。孤独と思い込んで人は生きている。だがそれもまた趣き。個々が放つ彩りと輝きは誠に美しい。その足元の落ちた実や種、石ころに至るまでだ。それに気づき、慈しむようになれた時、自身もまた周りから慈しまれるのだ。」

2024.11.20(自分の素直な気持ちに正直に生きていますか)

これが誰かの役に立つとはあまり思えないのですが…、今日ずっと脳裏から離れず、今書くように…と感じるので、かつての自分についてありのままに綴ります。

もうかなり昔、千葉で飲食店店長をさせていただいていた頃、青山のグループ店で全スタッフの集まりがありました。店舗ごとに出し物を披露せよというお達しに1番下っ端なので盛り上げなければ!と思い、当時の流行を真似てスタッフ男女皆にセーラー服を着て踊ってもらい、私はマイクを持って司会で盛り上げました。会場は笑いに包まれて社長にも評価され、何故か景品として用意されていた素敵な下着を頂いて持ち帰りました。

でも実は、皆さんと写真も撮って挨拶をして別れたその後、迎えに来てもらった車に乗り込んだその途端、私はおいおいと声をあげて泣き出しました。「痛いよ~…身体中が痛いよぅ〜…助けて〜…」と…。

本当は、青山店に着いた時からフラフラして具合が悪かったのです。でも私がしたことは、当時常用していた解熱沈痛剤を倍量飲んで、念入りに化粧を厚塗りし、赤い口紅をつけることでした。マイクを持った時にはもう、全身の節々が痛くてゾワゾワしてつかまり立ちすらやっとだったのに、私は笑っていました。自分の心身を完全に押し殺すことこそが仕事であり大人だと思っていたのです。

その後もしばらくその頂いた景品を見ては、あの日あんなに辛くても頑張れたのだからと歯を食いしばっていましたが、そんな状態を続けたので当然あちこち病になって退職に至りました。その後カウンセリングに通って、自分の気持ち、自分の好み、自分の感情を認識して言葉にできるようになるまで、1年以上かかりました。

その後、栄養的に今の私に必要だから食べるという自分から、今日、今、ふと食べたくなったから何時だろうと食べて嬉しい♪美味しい♪幸せ!ありがとう!と笑える自分になれるまで、さらに10年かかったでしょうか。あなたは、父または母が好きだから、主人が好きだから、娘が喜ぶから、そんな選択ばかりしていませんか?

私は今はお陰様で、両親や周りの期待通りに生きることができなくて、葛藤を抱えてジェットコースターのように生きるしかなかったあの頃の哀しみや痛みすら、自死された若い故人のセッションの際に共に癒されるのを感じます。私達の感動/情動は、無意識の領域の意識/霊的な『わたしたち』と繋がっています。逆に言うと、生きている私達が自分に素直に生きて癒されたり喜んだりすると、あの世のわたしたちという彼らも癒され、喜びに満ちるそうです。自分の素直な気持ちに、正直に生きたいものです。

2024.11.18(亡き後も性格は変わらない?)

先日、2年前頃…亡きお父さまの故人セッションをした方と、約1年ぶりにお目にかかりました。今回はただ観光&ランチをご一緒する予定でしたが、前日の夜ずっとお父さまの気配(娘に逢えるワクワク♪)がして眠れず、午前0時にも2時にも4時にも意識を澄ませて伝言があるか尋ねたのに、全く言伝は頂けませんでした。

朝になって(参ったなぁ…こんな寝不足では近場の案内がやっとだな…仕方ない。さぁあと5分で行く時間だ!)と思いながら映っていたテレビで子どもの姿を見ていたら、涙がだぁ~…と溢れてきました。「えぇ?まさに出掛ける時間の今ですか?」とべそをかくような思いでペンを持つと、これから逢う娘さんへの慈しみに満ちた言葉が私の日記に綴られました。

もう家を出ないと間に合いません。口頭で伝えますね!と言ったら、できれば書いて渡してほしい!と感じます。時計を見ながら目についたハガキから選んでもらってペンと共にバックに入れ、自動書記した部分を写メして泣きはらした目で向かいました。

話題の尽きない楽しいその方といて、いつ落ち着いて書くタイミングがあるのかしら?と思っていたら、今!と聴こえたのは、初めて行った食堂で珍しく家族向けの広い座敷に案内された時でした。料理が出てくるまでの間に話したそうな方に待っていただいて書いて、ことの顛末をお話しながら無事にお渡することができました。

すると、彼女は読んで目頭を押さえて涙を拭きながら、笑って言いました。「まさに父はいつもそうでした!計画的でせっかちな母に早く早く!と催促されても行動しなくて、出掛ける直前ギリギリになってからいつもばたばた用意する人で…亡くなっても性格は変わらないんですね~…父らしい。笑」と。

「おかげで私は朝まで眠れずぐったりです〜…」と笑いながら、正直私も彼らを招くセッションの時以外は理性/考える自分が強い方なので「頭で考えずにただ感じなさいという時に、考えられない状態に導かれるんですよね…今日は感じたままに話させて下さいね!」と、(目上の方と)一日思うままに話して笑って楽しく過ごしました。その方はいつも、人生の変化の節目に私に逢いに来てくれます。きっとソウルファミリーなのでしょう。

亡き方は、成仏後さらに進化した慈愛に満ちた宇宙存在のようになるspiritもいらっしゃるし、子どもを見守る親の心持ちそのままの存在もいらっしゃるし、実に様々です。でも彼らは本当に、私達をよく見ています。

2024.11.16(身体の訴えを聴く)

肩の痛みが実は五十肩ではなく、石灰沈着性腱板炎とわかってからさらに痛みが腕にまで拡がって酷かったのが、先月ひとつパートを辞めて、リハビリにも通い始めたおかげか少し楽になりました。見えない方々の想いや愛を伝え拡げます!と約束したのに、しばらく痛みで投稿をさぼった自分、大勢の人や人前を怖がる臆病な自分、不器用で非社交的な自分、(時間をかけて書くことはできても)かなり口下手で馬鹿正直な自分を責めていた気がします…。でもこの11月に入って、私の真の姿を知る…以前故人セッションを受けて下さった方々が、続々と再会に来て下さって感動しています。私が私を責めることを止めるように、天が、宇宙が、あるいはspiritの皆さまが、取り計らってくださっているのでしょうか?ありがとうございます…と伝えたら

「あなたはかつての家族のため、勤務店のため、スタッフのため、お客様のため等々、誰かのためだと頑張れるのに、何故かご自分自身のためになると引いてしまう所があるようです。でも常々、目や耳にしている通り『あなたはわたし、わたしはあなた』なので、あなた自身こそを尊重して大切にし、慈しむことができなければ、周りの誰にもそれは拡がっていかないのです。

あなたのやせ我慢や苦痛の上に誰かがいい思いをするという構図ではなく、あなたの心底からの喜びや嬉しさ、あなたの安心とリラックスによって、あなたの周りの四方八方(天や地にも)いる方々皆が、あなたの幸せやその喜びを享受し、感化され、拡がるのです。

また、自分さえ我慢すれば、何このくらい…と無意識に思い込もうとする癖が、上司に対してだけは面と向かってはっきり口走ってしまうことへと向かわせています。何故黙っていられないのか…と馬鹿正直な自分を責めるのではなく、どのように伝えたら双方が心地よくいられるかに心を砕き、無意識の習慣を変えよ!という身体からの訴えを聴いて、リラックスを心掛けて下さい。もっと肩の力を抜いて、安心して暮らして下さい。」

2024.11.14(自分の行動を責めない)

最近ハマっている中国/韓流ドラマを見ることに、意味(自分自身)を見つけて、驚いたり感動して泣けたりしていますが、それはただ言い訳を探しているだけなのでしょうか?

「人それぞれ本当の自分を知ること、見つけ、気づくことができる対象は様々です。旅行などの行動であったり、人との交流であったり、大勢の人々への在り方を通すことであったり、多くは実際の摩擦/衝突や、逆に人との共感によるものです。時々どうしても許せない/嫌な思いをして、実は自分はこうは生きたくはないのだ、別な生き方をしたいのだ、と知るものです。

あなたは時に度を越えて感じてしまい、相手にそうさせたのは自分だと考え込んでしまうため、そのような、かつては避けていたドラマ等を見ることでうまく距離をとりながら、笑って泣いて本当の自己を思い出し見い出しているのです。ですからそれを悪いことのように考える必要はありません。いつもお伝えしているように、何もかもを、本当に何もかもを楽しんでいてください。必要なことは全て、その先に現れるのですから。」

2024.1.12(夢は大きくなくていい!)

伝えることを仕事にするなら、過去の繋がりや名前は出ないでほしいと言い渡されたり、何この人?おかしいんじゃない?という理性での声が聴こえたりしてから、私は人の集まりが苦手になりました。夢もなく、自分を何者でもない、ただの伝える者…と定義してきましたが、それは間違い、あるいは不足でしょうか?と訊いた時に

「どのようでありたいか(伝えたいか)を克明に描き、感じることだ。夢と言えるほど大それたことでなくていい。ただ「わたしはこれができて、本当に幸せな人生だった!」と悔いなく言えるような人生を歩みなさい。」

そうか!夢は大きくなくていいんだ!私はお伝えしている瞬間も、その後も幸せに満ちるから、これでいいんだ!と感じて嬉しくなりました。正直なところ、私が寛いでいる時間には絶対来ないで下さい!私は一切感じたり受け取ったりしません!と常々伝えて拒んでいますが、それでも時々、深夜や明け方に言葉を託すspiritがいらっしゃることがあります。なのでセッションの直前のみ言伝を預かり、書いたり入力することが稀にあります。

通常チャネリングしている最中の言葉は口で伝えて贈りますが、自動手記で頂いた言伝は私の手元にも残ります。そのどれもが愛の想いに満ち溢れていて、(常に頭で考える質だから、せっかく当日感じてもすぐ戻ってしまうだろう…いつでも何度でも読み返して、わたしが傍にいることを感じて(悲しまずに)笑って生きて欲しい!)という切実な願いが込められています。それはもう本にできたらなぁ…と思うほど、愛に満ちています。

2024.11.6(私達は愛されて存在している)

書こうか書くまいか迷ったのですが…、正直に伝えて生きます!と約束したので書きます。先日、人がたくさん集まる場でふと目についたのが、あの人もこの人も『我慢しているな…という部分』でした。息子や娘や孫や誰か…人のためなら時間もお金も使うのに、自分自身にはいつも倹約し我慢している気がするな…、こんなにたくさんの宇宙存在や、亡き家族やご先祖様たちから愛されて、幸せを願われているのに)な…と、感じたその時

「あなたは今、周りの人の愛を込めていたわっていないところを見つめていましたが、それは自分への愛が足りないところを見つけているのです。ただそこに存在しているだけでこんなに愛されている!と、あなたには見えているのですから、それをたくさんの人々に伝えていってください。

愛を感じるハートが開くように、こうしてあなた方一人ひとりの周りに、こんなにたくさんいるのですから、今日今出会った人にたくさんの愛を、勇気が湧くその皆からの言葉や想いを伝えなさい。あなたたちは今を生きています。そのなんと素晴らしきことか‼とるに足らない悩みに集中せずに行動し、それも愛に昇華しなさい。」

2024.11.4(正しさより、想いと愛)

「正しいか正しくないかで、選択したり判断することを一旦脇に置いておきましょう。そこにどのくらい想いがあるのか、愛を感じるのか、感謝しているのかについてのみ、そう、感情や気分や体感を伴う感覚に対してのみ、意識をフォーカスしてみましょう(水の星地球に生まれて)水のように生きることは、時に焼けた石の上で蒸発することもあるし、くぼみに溜まって濁り、動かないように感じることもあるでしょう。それでもその一瞬一瞬を振り返る暇もなく、また雨水と共に低い方へと流れてゆく自然との調和的在り方であるということなのです。水のように他を映して、水のように姿形にこだわらずに柔軟性を持ち、地球ならではの生を楽しんで下さい。水は罪悪感を持たず、怒りも知らず、哀しみの涙すら受け容れて、なお澄み渡ることでしょう。感情という雲のように現れては消えゆくものより、それをいつも映し、浄化する水のように生きるのです。」2016.10

2024.11.3(ミネハハさんのコンサートにて)

御殿場の『ありがとう寺禅堂』で行われた11/2のコンサートは、ミネハハさんの歌と数人の方の舞とのコラボでした。ご自身の創作舞を初めて披露する女性の全身から溢れ出るようなたましいの喜び、大好きな曲『龍の申し子』で踊ったダンサー女性の躍動する歓び、半身不自由になりながらも舞の始祖として、動く片手の爪の先にまで真心を込めて舞う姿とその舞への愛、ミネハハさんの万人の祖先への感謝と地球と宇宙への愛と感謝に満ちた力強い歌声で、場は歓喜に満ちて感動しました。その時、ふと聴こえた言葉は

「たましいの歓びに生きること、その姿を目に、心に刻み、歓喜に生きなさい。わたしたちは皆それを望み、それを応援しています。」

また、舞いの始祖 先生が椅子に腰かけて舞う周りに、先生の亡きご家族やご先祖さまがいらして

「舞にて己を現す娘の姿の、なんと誇らしきことかな。我々男(おのこ)には出来ぬことを成し、皆に伝え、今も舞い踊る姿に喜び  歓喜以外の何もない。そこに在りし日の母を見、祖先たちの想いを感じ、いずれ我らと共にその世を離れて来ようとするその時まで、ほがらかに たましいの舞を舞い、喜びと共に在らんことを望む。佳き日に」

そう書き終わったその時、先生は舞い終え、座っていらした椅子から、杖も人の助けも無しですっくと立ち上がられ、会場の皆が驚き感動しました。時に誰もがふと、見えない存在たちに支えられて、不可能と思えることができる瞬間があるものです。

2024.11.1(リハビリ&一時休息)

このところ、右肩の石灰沈着性腱板炎による痛みが肩から上腕にまで広がってしまいました。寝返りの度に痛みで何度も目が覚めるので寝不足になり、無意識に片手で運転したり、腕の重さまで痛くてもう一方の手で支えたりしています。でもそんな折ちょうど成り行きからパートをひとつ月末に退職し、今日は病院の勧めで、希望していた手術ではなく、初めてリハビリを受けてきました。終わって会計を待っていた時ふと頂いた言葉は

「11/1 新たなstartです。痛みや苦しみがないと、安心してゆっくり寛げないような癖を直しましょう。それは心身の病ではなく、癖を改めると治ります。常に人に、周りに気を遣い、緊張が続くその癖を和らげれば、あなたの身体の悲鳴は止むでしょう。

時と重力がやや、地球の磁場の微妙な変化により歪んでいます。全身でそれを受けずに、ゆるやかにかわすこと、グラウンディングはしっかりしつつ柔軟な身体になるように、と、あなたのたましいと肉体が教えてくれているのです。全ては順調に進んでいます。」

このところ自律神経がおかしいな…とは感じていましたが、そういえば、疲れれば疲れるほど限界まで起きている!とか、痛みや辛さが高じて病気にならない限りゆっくりのんびりしてはいけない!という意識/癖が、確かに昔からあったかも…と思い至りました。人に比べて自分はまだまだ努力が足りないと考えがちですが、老いやいくつもの病との共存を、自分の身体なりに頑張ってくれているのに酷使はいけませんね…。

MRIを受けた時に思い込みかもしれませんが、やはり照射される波動の向きや波形が都度変わって面白く、私達の肉体は水分が多い故に、何を照射し共鳴させるかはすごく大切なことなのだと改めて思いました。人に勧めていただいた病院なのになかなか治らない、MRIはあるのに手術は行っていないってどういうこと?…とショックでしたが、そもそもが、実は自分の考え方の癖が引き起こしていたなら、その病院のホリスティックな考え方、自己治癒力を高められるように意図/意識していきたいと思います。

2024.10.25(自分と違う相手と生きる)

年がひと回りもふた回りも離れて、育った時代が違って男性中心が当然であるご主人/父親と暮らしていくのは、自身を見失わずに可能なのでしょうか?

「木々が種が違い全く対照的であっても、共存できるのと同じように捉えるべきでしょう。陽の光を好むのも、水分が必要なのも、土壌が大切なのも一緒です。ただ一方は花を咲かせ実をつけるもので、一方は花も実もつけず年中同じ様相であるもの、花や実に昆虫や小動物を集めるか、幹に鳥を住まわせるか、寄せ付けるものも違うのですが、彼らは一本一本凛として己を生きています。

陽の光を求めるのは愛情を求めている、水分が必要なのは食物や水を必要としている、土壌が大切なのは身体の健康が大切なのと同じことで、お互いが奪い/取り合うのではなく、お互いが与え/分かちあうことです。共に生きるとは、直接自分が期待するような言葉はなくとも、想いは在ると信じて喜び、感謝すること、与えることや共有できる相手がいる、自分が自分足る所以を、違いを持って知らしめてくれている存在なのだと理解することです。そして自分の枝を伸ばす方向を変えながら、快適に共に生きるということです。

それを我慢や犠牲と考えず、少しずつ少しずつ、相手が理解できるような言葉や態度で、譲れないことや変われないことは伝えて、己を現わして生きるのです。そもそも、その違いが出会った当初は魅力だったのですから。自分自身を偽らずに、時に子どものようになっていく年長の方とも心で向き合い、頭で諦めずに、精一杯自分らしく暮らせるように、笑って笑ってお互いを見守ることです。」

2024.10.21(頭痛のわけ)

頭が痛いと、どなたか伝えたい事があるのかしら…?でも、普段は絶対勘弁してほしいと思うのです…

「頭痛は必ずしもspiritによるものではないこと、水分や姿勢などの場合もあるので決めつけないで下さい。

それは、あなたがあなたを罰しているせいかもしれません。自分の弱いところを打ち明け、受容してもらうことは、勇気がいり心細いものですが、それを受け容れてもらえたなら、もっと強く自信を得るように、感謝しながら頑張れることでしょう。

自分の病気によるウイークポイントは、誰もが持っているものです。それも、年と共に増えてゆくものです。人よりややそれが早くから多くを持っているということで、自分を責めても何の得にもなりません。他の人々への心遣いができる自己を目指し、できることで貢献すればいいのです。もし受け容れられなかったら、また別の道へと歩み、新しい人々に会い、そこでまた自己の体験を楽しみなさい。」

2024.10.20(瀧川神社にて②)

感謝のお参りをした後、今日も様々な方がいらしていますね…と思った時に

「人が来ようが来まいが、わたしたちは常に流れ、ここに在る。ただありのままに在ることが、人を招くに過ぎない。人(の場合)は、しなくていいこととしたくないことは違う。必要があればしてみることだ。不安の方へ引っ張られぬように、軸を持ち、芯を志ざし、根を張って生きよ。」

2024.10.19(瀧川神社にて①)

初めに神社に近づく際、辺り一帯や上下眺めながら歩いていたら

「印/示しを探そうと 外を見るでない。わたしたちは外ではなく、常に内によりて在る」

滝に背を向けて水音を浴びていたら

「不要な力を抜くことだ。期待も手放すことだ。よわい100年生きたところで、悟ろう、識ろう、などとしても無意味なことだ。知は  意 に優ることはない。

水の滴のように無のまま流れ着いて、今やっとそこで生を得、肉体を得たのだ。人として在るうちは、人ならではの煩悩と共に生きることも素晴らしきことかな。

わたしたちは太古より内に在り、繋がりし 意 である。思うこと以上に、感じることを何よりも大切に味わうことだ。

明日の雨を、今夜の乾きを、わたしたちは憂うことがないからこそ、常にわたしたちは満ちているのだ。満ちねば乾くという概念/意図は有害でしかない。既に必要なもの、本心からの願いで周りは満ちている。」

2024.10.18(認知症の方に参った時に)

これからは愛を意識して、慈しみの心で人と接したいと思っていたのに、おそらく認知症の方に、ちょうど忙しくて焦っている時に同じ品について3度訊かれてご案内し、やはり同じことを3度説明したら、もう顔が引きつって泣きそうになってしまいました…まだまだ修行が足りないですね…と正直に伝えたら

「それは修業するものではありません。愛を実践することを特別な崇高なことと考えているようですが、存在そのものが愛なのですから、無理やり意識したり、正解・不正解があるわけではないのです。

ただどんな時も、今このような状況でこのような想いなんだな…と、自分ごとのように相手のことを慮る気持ちでいれば、おのずと行動は悔いのないものになることでしょう。自分自身と他者との間に境界や偏見を持たずに、お互いを受容してゆくことです。」

2024.1017(身体の訴え)

このところまた肩の痛みがぶり返し、寝返りの度に痛みで目が覚めてしまい寝た気がしません。病院へ行っても治らないのは、心の奥底でとても欲しいものがあるのに、無意識にそれは手に入らないと諦めている何かがあるのかも…と漠然と感じていたものの一つに、中国ドラマを見ていてハッと気づきました。

「そう、その調子です。あなたには、心で願っていることを気づけず、頭/思考で諦めたり、これで充分…と思う癖があります。あなたの身体が、欲しいものがある!と訴えているのです。それを決して押さえつけず、欲するままに動きなさい。行動するのです。」

2024.10.14(考えない方がうまくいく)

色々考えては自分を責めて落ち込んでいましたが、やっとスイッチが入りました!と書いた時に

「あなたは眠っていました。わたしたちからの呼びかけも空しく、あなたは自分の内に籠って、心を閉じていたのです。聴こえなかったのは、あなたがあなたを責めていたからです。それが周りからの怒りとなり、周りへの怒りとしても起こっていました。

あなたの人生は一度きりです。生まれ変わりがあろうとなかろうと、あなたとしてのその人生は一度きりなのです。過去や体験したことに思いを馳せるのは、まだその先動けなくなってからでもできます。今はこれからしたいことを数えあげて、できる幸せに胸を躍らせて下さい。

あなたの想い/考えを、あなた自身とそれを必要とする方々とシェアして共に分かち合って、誰かの苦しみや悲しみを、意味あることへと繋げていって下さい。生きる意味は成功などではありません。解く鍵は優しさであり慈しみと愛なのです。これからに希望を持って、愛のもとに誠意を込めて聴いて、伝えてください。」

脳の働きは本当に不思議です。地球や宇宙全体と繋がっているような至福を感じたり、見えない存在たちの想いや愛を受けとったりできるのは、無邪気で無防備な(まるで天真爛漫な幼子のような状態で)心身ともに幸せな時です。心身の緊張や、常識的に考える理性や、知らないことは排斥しようと知性が働いている間は、その受けとる感性を妨げているようです。木々の多い公園や神社、自然の中で深呼吸してリラックスする時間を持ちましょう。そうすると、素敵なインスピレーションが彼らから届くかもしれません。

2024.10.13(ヴィクトール・フランクルの言葉から③)

ユダヤ人というだけで収容所へ送られ、死と隣り合わせの日々、酷い仕打ちを堪えて生き延びることができたのは、彼が『超意味』(大いなる何か)を信じたからのようです。

「輝く日々、それが過ぎ去ったことを泣くのはやめよう。その代わり、かつてそれがあったことを思い出して微笑もう。どうやら強制収容所は、まさに私の卒業試験だったらしい。人間が本来有している根源的能力、つまり‘自己超越’と‘自己距離化’の能力は、強制収容所で実存的に検証され、正当性が証明されたものである。どんなことでも人に起こることにはすべて、何らかの究極的な意味があり、まさに超意味があるはずだ。しかし、人はこの超意味を知ることはできない。人はただそれを、信じるほかないのである。」

「私は合理的な概念で、神が一体存在するかしないのか、どちらが真実なのかを決めることができません。もし半分ずつの可能性があるのなら、自分の全存在を天秤の一方の皿に載せることしかできません。私は自分自身を、究極の意味に関わる方の皿にゆだねるでしょう。

私はどんな時でもこう言えます。これは心の底から出てきた願望です。これが私の存在のすべてなのです。たとえそれを合理的には理解することができないとしても、究極の意味が存在するに違いないという確信は、心に深く染みわたっています。」

不思議ないきさつでガス室行きから免れたり、希望も正気も失いかねない状況の中で、偶然与えられた囚人服のポケットの中にあったユダヤ教祈祷書の『あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』という一片が、どれほど彼の問いの答えとなり、支えや救いになったかがうかがい知れるような言葉のように思います。そして

「究極の意味、存在の超意味を信じようと決断すると、その創造的な結果が現われてくるでしょう。信じるというのは、ただそれが真実だと信じるということではありません。信じることを真実のことにするのです。たんに考え方の可能性に過ぎないものを、実現することなのです。」

確かに、近年脳科学的に証明されているようですが、私達の脳は『信じる』(存在する)とインプットすると、直ちに全力でその証拠や情報収集を行うそうです。そしてそれは意識によってはまるで引き寄せたかのように見えたり、起こったりするようです。(大いなる何か/神様/仏様/宇宙人なんていない!と思う人には、いないとしか思えない情報を集めるし、いる!と思う人にはやっぱりいるとしか思えない情報を集めるのが、私達の脳の仕事のようです。)

絶望的な苦境の中で『それでも人生には意味がある』『それでも人生にイエスと言う』という彼のような姿勢を貫くのは、決して簡単にはできないと思います。大切な家族全員を失って苦悩しつつも、人を恨まず、憎まず、再び愛する生き方を選択できるロゴセラピーの考え方は、愛する人を失っても生きねばならない私達にも、心の持ち方を教えてくれている気がします。

私は亡き祖父から教わりましたが、人は亡くなっても、決して無にはなりません。目には見えなくても、私達が心の底から嬉しい時、悲しい時、苦しい時には傍に来てその情動を共に感じながら応援してくれています。見ることも触れることもできないのはさびしいですが、傍に来てくれていると心から信じていると、必ずそれを実感できるようなことが起こるのです。

宗教は時に対立し戦いが起こるので、私は懐疑的です。でもその一方で自分自身の体験として、神様なんかいない!いるとしたら不公平だ!と責めて過ごした子供時代の苦しかった体験の全てが今、私の前に現れる辛い方々の気持ちを理解する力になっていると認めざるを得ず、やはり見えない存在たちに導かれて今ここに至っている…と思っています。

私達は自分の脳で考えるよりもずっと、実は愛されて、今を生きることができています。その視点で可能性を信じる!と脳にインプットしてその証拠と情報を集め、気づいたり感じたりして心から感謝して生きる幸せも選べるということを、実感していただきたいと願っています。

2024.10.12(ヴィクトール・フランクルの言葉から②

ホロコーストから生還後ご両親も奥様もすでに収容所で亡くなっていたことを知り、打ちのめされながらも、自らが確立したロゴセラピーを普及た精神科医の言葉のシェアで

「悲観的に考える人は、日めくりカレンダーの前に立って、毎日1枚ずつ切り取られていくカレンダーがどんどん薄くなっていくのを、不安と悲しみの気持ちで見つめている人と同じです。

それに対して、その人が生きた事実は永遠に守られると考える人は、カレンダーから切り取った紙を、今まで切り取った紙の上にきちんと注意深く載せていくのです。そして、その紙の裏に日記のようなメモをすれば、今までこのメモの中に書かれてきたこと…人生の中で今まで確実に生かされてきたこと…に対して、誇りと喜びをもって思いを馳せることでしょう。」

もしかしたら私達は自分の人生において何度か、そんな悲観的な思いをする時があるのではないでしょうか。自分もしくは大切な人やペットが病気によって余命宣告をされた時…、自分の一部のような存在の人が亡くなって、ただただ過ぎ行く日々を悲しんでいる時…などです。

でも、大切な彼らが亡くなったとしても、これから自分も死ぬとしても、生きたという事実は確実にあって、たくさんの言葉や笑顔や感動も全部、共に生きられた喜び、体験できた愛として今もこれからも残る(在る)のだよ、と、言ってくれているような気がしませんか。

2024.10.11(ヴィクトール・フランクルの言葉から①)

ホロコーストから生還後、92歳まで精力的に生きられた精神科医の言葉をシェアします。

「生きていることが明らかに無意味だと思い、絶望感を抱いたとしても、若者たちはそれを恥じることはありません。生きることに意味があるかどうかを問うのは人間の特権です。生きる意味が開示されるまで、忍耐強く待てばいいのです。

ここで必要なのは、人生の意味に対する問いかけ全体を方向転換させることです。私たちが自分で学び、さらに絶望している人たちにも教えなくてはならないのは、私たちが人生から何を期待できるかというのが大切なのでは決してなく、むしろ、人生が、私たちから何を期待しているかが重要だということなのです。

つまり、人生の意味を安易に糖のはもうやめて、自分自身が人生から常に問われているのだと自覚しよう、ということです。」

これはある大学で、将来に希望を持てない時代の学生たちに伝えた言葉のようです。将来に希望を持てない絶望感は、解決できない問題や挫折によっても感じますし、大切な家族や理解者の死によってももたらされると思います。

それはつまり、その大切な存在がいくなった人生に一体何故?と問いを続けるのではなく、これから自分がどう生きるかを人生やその亡き方に問われているのでは?と、視点を方向転換することを勧められているのだと思います。そして私は実体験として、亡き祖父母や両親や親族、心友たちの想いと共に生きよう!と受け容れてから、事故の時も病の時も、見えない救いの手が差し伸べられ見護られているとしかいいようのない不思議を体験し、感謝しています。

2024.10.9(食について)

野菜の重ね煮を教わって、早速作っています。野菜とそれを育てた大地と太陽に、塩とその基である海に、そしてそれらに関わってくださった皆様の努力と真心に感謝します。昔頂いたル・クルーゼの鍋を使ったら当時を思い出して、反省したり懐かしく思います…と書いたら

「身体にいいものはナチュラルなものです。地上では、様々な観点から添加物が加えられた食品が増え続けている故に、せっかく伸びた寿命が健康な状態でないのは残念なことです。

今これより、身体と心と地球にも嬉しい食べ物を、それを活かす調理で楽しみ、大喜びして暮らして下さい。生きているその身体は、生きていたものたちの命を頂いて成り立って生かされています。そのものたちへの感謝と共に、今日できることを笑顔で行うことです。」

2024.10.4(祖母の月命日に寄せての問と言葉)

家族を想う…とは、どういうことでしょうか。その人を心配するのは愛でしょうか?私は幼い頃いつも祖母に「なんて不幸な星の元に生まれた子…」と言われていたので、長いこと哀れむことが愛かと誤解していました。

「心を配り、できることをすることは必要で大切なことですが、こうすればいいのに、あぁだからダメ、なんて可哀そうに…等と考えることは、意味も効果もないでしょう。あなたの中にある記憶が、そのように決めつけていつから、そう見えているだけなのですから。

その方が家族でも恋人でも友人でも、自分自身のことに立ち返り、何がそう感じたり考えさせたりするのか、問題は自らにある、ということに気づくことです。気になることは気になるほど、あなた自身に気づいて欲しくて他の人に投影され、それは問題だ!とすり替えて立ち現れます。

可哀そうに…と思うことは、愛ではありません。必要なことで出来ることは心配りして行い、きっと大丈夫!と励ますこと、力があると気づかせること、きっと乗り越えられる!と信じて祈ること、そんな想いで見護ることが、愛です。」

2024.10.2(体験/記憶で悲しまない)

病(癌)になる前の、ぽっちゃりして可愛らしかったご自身の写真を、少し切なそうに見ていた方がいらっしゃいました。病気の後に逢ったご友人に「随分変わったね」と言われたことも、お辛そうでした…

「年をとるということは、早く大人になりたかった時期には遅く感じ、変わりたくない時期にはとても早く感じるものです。ただ、誤ってほしくないのは、誰もが平等な時を経て老いて/成熟してゆく、ということです。

そのぽっちゃりして可愛らしかった時のご自身で体験できた楽しさや喜びや苦労や努力も、今、病を経て不安や心配を克服する努力や、気持ちを明るく保ち、些細な事にも喜び感謝できるご自身になれた喜びも、皺の一本一本に刻んで生きているのです。

今を悲しむより、当時の幸せな記憶を心に克明に思い出して、微笑むあなたでいてください。記憶を自分を苦しめることに使うのは無意味です。体験の全ては、あなたがあなたとして生きて何を大切に想い、どう在りたいのかを見つける旅のようなものなのですから、思い出の地/時での喜びや楽しかったことを、宝物として味わって暮らして下さい。幸せをリピートして思うこと、自他への感謝は、さらなる幸福をもたらします。」

2024.9.30(富士山五合目 山荘にて)

『護られている』とはどういうことでしょうか?

「危険や災いから守られる ということではなく、それぞれのたましいの学びが滞りなく行われ、その糧が得られるよう導かれているということである」

では『お導き』とはどういうことでしょうか?

「愛のもとに信じて足る人や事象に出会い、それに感づくことができるよう あらかじめ決めた意図へと自然・必然に向けられることである。

大切なことは、それらがあるかないかではなく、あると信じ、何ものかに祈り、何ものかを信じ、何ものかに感謝することと、それら全てへの己の愛を感じ、そんな自らも他をも、心の奥底より愛しく想う人物になることである。慈しみの心を全ての生命(いのち)あるものへと向け、共在(共存共生)を喜ぶ心で生きることだ。愛 などと大袈裟に考えなくとも、孤独に老いる…と悲しむのではなく、『老病死苦』をも誰もに等しく与えられたギフトと見なし、それを不安に思うより周りと助け合っていく心づもりを持って共に生きる!と決めることが大切なのだ。」

2024.9.29(月命日に亡き父より)

生前の父はどちらかと言えば寡黙でいつも家族皆の聞き役で、あまり自分の考えなどを話さなかったのですが、亡くなって30年以上経過しているのに、私が正直に打ち明け話をすると今も時々言葉をくれます。私が素直に

最近時々仏教の教えのような言葉を頂くことも多くて、とてもためになっています。そのおかげで暗く元気のなかった方が少しでも明るく笑顔になるとホッとするし、良かったなぁと嬉しくなります。

私自身は勉強が苦手で母さんをいつもがっかりさせてしまったし、覚えが悪くて自分でもシュン…としてしまうけれど、今生ではこれでもいいのかなぁという気がしてきました。自分や誰かの期待通りの私ではなくとも、結果的に、誰かの反面教師になっていたり、勇気づけたり、元気を与えることができていたりする…つまり互いに影響しあって色々な人と人生を交差させながら、皆で大きな歴史のタペストリーを作っているのだから、と書いたら

「お前の学びはこれからも続いてゆく。たくさんのことにひとつずつ気づき、それを皆と分かち合って笑うお前を見ていると、とても幸せな気持ちになる。生きていた頃は可哀そうに思ったり、申し訳ない気持ちになったりしたものだが、今では「あれらの辛かったことのお陰で…」と語っているお前を見ていると誇らしく思うよ。

どのみち、誰もがいつかは学ぶことなんだがな…(笑) 

これからはいいか、少し駆け引きも出来るようになっていった方がいい。ずるい駆け引きではなく、楽しむための算段、という意味でだ。楽しむことに罪悪感を感じないこと、楽しんでいいと自分をゆるすこと、言い訳せずに楽しむことだ。いつも幸せを願っているからな!」

私がいくつになっても、親は親でいてくれて、時々見ていてくれるんだな…と嬉しく思います。佳き日に感謝です。

2024.9.27(祝 健康!! 後は…)

長いこと理屈や常識や正しさに囚われて、とても生き辛かった学びを経て、私は感性の方『ほんとうのわたし』で『目に見えないわたしたち』と共に生きる!と決めたはずなのに、今日1日…私はどの位の時間を『ほんとうのわたし』で生きただろうか?今日の身体の検査結果は良好でした!あとは、心と感性を澄ませるだけです。

2024.9.25(思い癖)

今週末の検査が大丈夫だと、次回は12月までホッとできます!と書いたら

「毎日が流れゆく中で、もっと楽しいこと、嬉しいことへと意識を向けてください。まだまだ心配や不安を優先しているようです。他からの誘いに任せるのではなく、自ら計画を立てることです。人生は楽しむために与えられたチャンスなのですから。起こりもしないうちからクヨクヨ悩まず、笑って過ごすことです。」

がんやポリープの手術をしてから定期的な検査が多く、ついそれを中心に考えてしまいます。でもその反面、その心配や不安のおかげで些細な喜びが倍の感動になり、嬉しくて有難い!と出来事や縁、見えない力にも感謝する自分に変化したのも事実です。どこに目を向けるか、自分の思い癖に気をつけながら生活したいと思います。

2024.9.24(心のゆらぎに添って生きる)

ある人間関係が、自分の期待とは違う方向のようだと感じました…

「『時機』は来ています。あなたはあなたの喜びの対象について、きちんと的を絞り、願い、受け取ったり拒んだりを、しっかり自身の心のゆらぎに添って行うことです。」

まだ時々理性やEGOで、義理や損得や申し訳なさなどを優先して行動を決めてしまいがちですが、実は自分の心の奥が揺らいでいることを感じて、認めて、それを尊重してYESかNOを言うようにしたいですね。

2024.9.23(身体の不調…)

富士山の裾野に越してきて、ここで出会った友の存在にいつも助けられ、とても励まされています。人はゆとりや余力があるから助けられるのではなく、想いや愛によって、精一杯できることを与えられるのですね。かたや私は、あの人生の先輩が私より身体はしんどく感じているはずなのに堪えて頑張っていらっしゃるのを見ると、まだまだ自分にもできるはず…と思うのです。でも、身体が悲鳴をあげていて笑えないのも確かで迷っています…

「学ぶことが好きなあなたは、身体に異変が現れるまで歯を食いしばる癖があるようです。流れを見極めることや周りを見習うことも大切なことですが、すべきことやできることは、それぞれ一人ひとり違うものです。

心を整え、身体をいたわり、愛の想いからできているかを内省し、自分の道を歩むことです。歩ける道は無限にありますが、2本の足で歩ける範囲(道)はひとつなのですから。」

2024.9.19(与えられたチャンス)

勤務先の店で、ブツブツ文句のような独り言を言い、レジでは悪態をついていた初老の男性が、笑顔で挨拶を続けるうちに少しずつ少しずつ打ち解けてきて、今では身なりも随分変化しました。そして歯の無い口元に笑みを浮かべて「こんばんは!」と挨拶して下さるのです。これだから「いらっしゃいませ!」は楽しくてやりがいがある!と思うのです。と書いたら

「かつて誰もが避けて通るような状態だったところから、自分は歓迎されていると心から感じられることによって、心が開き、いそいそと向かうことができるようになるのです。

さて、その一方で、かたや…という方はいらっしゃいませんか?あなたは誰かを変える必要はありませんが、嬉しい変化の目撃者になることは可能なのです。嫌なこと/人は避ける度に追われるものです。その方々と同じような心持ちで、北風ではなく、陽の光になれるよう、与えられたチャンスを活かすことです。」

2024.9.18(自分次第)

脳の働きというか…理性による考えや判断と、たましいの成長を目指す見えない領域からの働きかけは相反しているようで必須なことで、とても興味深いと私は感じています。

例えば働きに出なければならないのは止むを得ない現実、と脳は捉えていても、実はたましいがしたいことの実現のためや健康を保つために動き出すよう、身体と連動しているたましいが導いている、といった具合です。

『〜ねばならない』に縛り付けられているように感じながら生きるのと、これも自分自身のためなのかも!と信じて行いチャレンジするのとでは、効果も価値も大きく変わってくると思います。このような考え方や選択も全て、本来の流れに乗ることに繋がっている気がします。

2024.9.15(備えと心の平和)

地震や台風の情報を早く知ることができるのは便利で有難いことですが、水や米が品薄になるなど、右往左往させられている感もします。私は麵類が大好きなので米は買い貯めしなくてもいいかなと思いながらも、売り場に少ないとつい不安になって買っておきたくなる心理も働きます…と、8月のある日伝えたら

「周りに流されずに、自分が大切だと思うことを納得して行って生きてゆくためには、怖れから選ぶことを止めることです。

必要な備えを必要な分考えて行い、周りの人が買っているから、店の棚に少ないから、ではなく、すでに有る物をきちんと把握して必要かどうかを決めることです。怖れから選択したことの多くは無駄になります。

自分自身と、他者への愛から選択しようとすることは、ちょうどいいタイミングで、ちょうどいい加減/量が手に入り、心も平和でいられます。」

本当に必要な人に行きわたりますように…と願って購入を止めたら、心が平和で満ち足りた気分になりました。(実際に翌々週、自分の米が無くなる前にまた米が並び、無事買えました)

2024.9.14(人は病で死ぬのではない)

今月は大学病院での検査が別日にいくつも重なり、その他にも歯科と皮膚科、健康診断も受けるので病院三昧で疲れます。でもやっと、癌の経過観察が半年に一度になりました!嬉しい!嬉しい!嬉しい!検査の度に気にかけたり気を揉んでいたのだと痛感しました…と書いたら

「結果に一喜一憂していたマインドをフルリセットしてください。どんな結果だから長生きできる、もう終盤であるというわけではなく、あなたは決めてきた通りまで生きるのですから。

そこ(病院)で出会う人々の中で何となく目に留まったり、心を砕いている他の人々に何かを見つけ、気づき、自己を知って、変化できている体験にも気づいて下さい。

病があなたの人生を決定づけるのではなく、あなたの生き方、捉え方、考え方が、あなたの将来に陰りを落とすことの無いよう、大喜びで生きて下さい。」

2024.9.10(神社大木より)

「時は移ろうが、姿形ある生き物もまた然り。だが、本質は変わることなく、形状を変えて在り続ける。故にこの瞬間を貴重ものとして大切にすべきなのである。その瞬間ごとの己にこだわれと言っているのではない。その都度湧く感情に左右されず、本質的にしたいことは何であったのか、その都度自分の中心に立ち返ることだ。心配や不安に負けたり、外的要素に踊らされることなく、しようと決めたことへまい進するのだ。それはわたしたちがまっすぐ陽に向かって枝葉を伸ばし、地中深く根を張ることに等しく、自らを生きることに他ならない。」

2024.9.8(大木より)

「何をするかではなく、心を尽くしてできるかどうか、そのことにのみ頭も心も使いなさい。わたしたちが己を生きるために昼夜問わず働き続けたり、あのもの(昆虫)達も生きるために動き続けるように、ただ己を生きるためであって何の問題があるでしょう。そこに他を排除したり非難したり蹴落としてまでということがなく、ただ自らが心地よく生きるために精一杯である時、必ずやそれは他のためにもなっていることに気づくでしょう。わたしをねぐらとするもの達と共に在ることに、わたしが喜びを感じること、それも豊かなことなのです。」

2024.9.5(執着に気づく)

30年も大切に飾っていたガラスの置物を、不注意で壊してしまいました。若い頃、田舎から上京して父と暮らして看病しつつ、二人分の生活費を稼ぐために六本木で働き出して、ある時一目ぼれして何か月か我慢してやっと購入した、複雑で精妙な作りのお気に入りでした。ところが、それを壊したその時、愛と執着がどのように違うのかをつくづく感じました…

「執着すべきものは何一つないのだ。ただより多くの愛と感動を味わい、戻って来なさい」

引越しの度に当時を思い出しながら大切に包んだものでしたが、壊れたその瞬間、悲しいより何故か安堵を感じました。私はそれを愛しているつもりでしたが、実は高かったし…とただ執着していたことに気づきました。心に焼き付いているから、モノはなくても大丈夫な様です。

2024.9.4(今、この瞬間にくつろぐ)

私は「何も知らなくていい、必要なことはその時に知らされる」と教わって、セッションではその通りにできているのに、うっかり、日頃の自分の願い事には知識や考えで判断して、諦めたり、執着したりしていることに気づきました…

「ただもう願ったことさえ忘れて、今この瞬間に寛いで感謝していればいいのです。ただ、人々は感謝していれば叶う、という思いに縛られているように思います。縛られているという言葉はよくありませんが、感謝しなければ叶わない、感謝が叶える、という思い込みは有用ではありません。それよりただ、嬉しいことを見つけて喜び、それはきっと誰かや何かのおかげだろう、よくはわからないけれど『なんて嬉しい!』という気持ちで過ごすこと、いつもどんな時も、佳きことに意識を向けて生きるだけでよいのです。」

2024.9.3(ささやかでも、これも愛)

今日は、昔お世話になった方のお誕生日です。直接お伝えすることはありませんが、健康とお幸せを心から願い、祈っています。と書いたら

「直接伝たり、伝えられたりせずとも、どこかで誰もが誰かを想っているものです。愛と呼ぶにはささやか過ぎると感じるかもしれませんが、それも心の奥から一点の曇りもない想いですから、愛なのです。自分は愛など語れないなどと思わずに、心の中の幸せを願い祈る想いを認めて、慈しみましょう。愛は育むものなのです。」

2024.9.1(葬儀もお墓も無しでも成仏できる?)

ご質問を頂きましたので、簡単にシェアします。あくまでこれはこの故人の方の場合に限りますが、葬儀や法要を必要としない方も中にはいらっしゃいます。

「死の淵にいることを家族/妹達には知らせなくていいと言われたけれど、後で事前に知りたかったと言われたら困るから…」と、お嫁さんが直前にご家族に知らせたそうです。その後亡くなってからも、本人の希望で葬儀は行わないので香典もいらないと言われて、そんな旅立ちでは迷ってしまうのではないか?そんなに私達に逢いたくなかったのか?とのご質問でした。

でもすでに、彼のたましいは今、自由になって晴々としているのを感じました。生前の父親との葛藤によって、自分が持てなかったイメージ/なれなかったいい父親として、ほとんど交流を持てなかった息子を今後見守るかたちで寄り添ってゆくのだな…という気配がして、まだ亡くなってすぐだというのに、全く迷っている風ではありませんでした。

おそらく葬儀や法要の8割程は、遺された私達のためであるような気がします。後悔や悲しみといった惜別の思いを、法要を経て徐々に受け容れてゆく心の儀式なのだろう、と…。そして故人にとっての葬儀や法要、命日にいたっては、生前の誕生日のように、沢山の方々がその日、自分を思い出して色々想ってくれるので、たましいが和み、癒され、満たされ嬉しい様子です。

あくまでこれは、自由奔放に生きて、癌という病によって事前に死を受容して80代まで生きて、心静かに旅立つことができたこの故人の場合です。もし意志半ばや、事故や災害や若くして突然心の準備なく旅立ってしまった方の場合は、ご自身の死を受け容れることや、この世を離れる覚悟と諦めをつけるのに時間がかかるので、葬儀や法要は大きな役割を持っていて、たましいを鎮めるためにとても重要なようです。

その場合には、遺された私達が、その人の分まで素直に喜びを求めて、充実した人生を送ること、そしてそれを自らの早い死を持って知らしめてくれた故人に対して感謝して、故人への愛と共に生きることが大切な供養になります。

2024.8.30(心をひらいて生きると決める)

「愛はどんな時も純粋で濁りのないものです。あなたも長いこと心を閉ざしていましたが、幼少期の思い込みによって意味づけした記憶は真実ではなく、彼らは愛の表現方法を知らなかっただけだと後に理解できたように、多くの人が誤解して決めつけて恐れ、心を閉ざして生きています。

心を閉ざしている間は、起こる現実の中に否定・批判する何かや誰かを探して攻撃しては、実は己から目をそらして生きています。でも、その方々はその選択を自らしているだけ、体験しているだけなので、あなたはそれを正そうとすることも指摘する必要もありません。

ただ、大切な方を亡くした時や、様々な壁と感じてしまう出来事に遭遇して(自らの奥深くの思い込みによって現実を招いて)何とか変わりたい、どうしたらいいのかと助けを求めてきた方に対してのみ、在り方について、わたしたちはご本人が否定している善を指摘し、あと少しで奇跡が起こることを信じて楽しみに待つようにと、あなたから伝えてほしいのです。

あなたは自らの人生は変わったと書きましたが、それも全て計画通りです。何もうまくいっていないことはありません。目に見えないわたしたちと同じように、目に見えない働きがあなたを包み、あなたから成されていることを、全てのわたしたちという存在が知っています。」

2024.8.29(行動して生きる)

「難しく考えず、理由もつけずにしたいこと、ふと浮かぶそれへと向かいなさい。誰が何と言おうと、です。自分の人生を生きることです。ひたすらに思いを巡らすのではなく、想いに正直にやってみる、行ってみることです。」

2024.8.28(何度でも始める)

書くことは話すことほど嫌いではありませんが、それを日々の習慣にすることも、本やメルマガを読むのも苦手です。でも感じたことを書き記すということを、再度始めました。

「何度始めてもよい。いや、始まりでない時などないのだ。この世を生きる上で重要なことは、自己の想いを感じ、それに従うことだ。それができて初めて、他のそれを理解し得るからである。諦めずに続けよ。何度でも始めよ。必ずや道は拓ける。」

2024.8.27(過去は節に過ぎない)

「愛として在る/生きるとは、その日その時感じた通り、思った通りに行動し、何もかもを味わうことである。今までという過去は、わたしの幹の節と同じものでしかないのだ。いつまでも拘っていてはいけない。

かつて与えたものに執着するでない。これから何を与えられるであろうか?そしてそれはどこから湧き出ているのだろう?そしてさらにそれが自らの中、他の中から溢れ出ている美しい所に気づき、分かち合うことである。

己を信じることが容易い者もいる。だが、それが苦手なお前だからこそ、相手を理解し力になれるのでもある。迷うことなく進むことだ。」

2024.8.26(偽りのない心で生きる)

お世話になっている方へ、言い辛かったことを正直に打ち明けることができました。

「相手がどうでるか、何を思うか言うかと気にするのではなく、いついかなる時も、自分の動機と向き合いなさい。ゆるされたいのか、わかってほしいのか、何を望んでいるのか、嘘偽りのない心で自分に問うのです。

自分に正直に(まっさらな気持ちで生きる)とは、人とどううまく接するかではなく、自己とどう向き合って行動するか、ということです。」

2024.8.24(打ち明け話)

最近頭痛が多くて困っています…。身体によくないとわかっていても、薬に頼ってしまいます。ただの気圧の変化によるものなのか、見えない方々の念を今は寛ぐ時間!と跳ね除けるから痛みが増すのでしょうか?聴くべきなのでしょうか?いつもいつもどなたかの為に存在するなんて無理…と思ってしまうのです…。

「ただの気圧の変化によるところの場合もあれば、死した者たち、孤独に耐え、家族を想う心のみでいた彼らにとって、伝えられる喜びは何ものにも変えられない喜びであり期待なのです。その期待ゆえに、あなたを試そうとする者、先走ってあれこれ伝えたいと願う者様々ですが、本当に彼らには悪気はないのです。皆いつか、同じような思いを体験する時が来ることは確かです。

全員が全員伝えられるわけではなく、あなたのsoulもまた癒されるような方々と引き合っています。故に人の為に行わなければならない、聴かねば!等と思わずに(あなたが拒否すればそれは波動の対立により摩擦が起き痛みが生じますから)そこにも彼らにもあなたにも愛があることを理解し、受容してさしあげてください。」

対面セッション前にいらっしゃる方、事後再来される方…いずれも私が気がつくのは思考が落ち着く真夜中や明け方で…それは私にとってリラックスの大切な時間だから勘弁して〜…と思ってしまいます。でも実はその後、正直に書いて張り紙をしたら随分楽になりました(笑) 困らせようとする方々ではなくて、有難くて幸いです。

2024.8.23(頂いたら返さねば?)

プレゼントをもらうのもあげるのも昔から苦手です。昔家族に露骨に嫌味を言われたからかもしれませんが、お返しをしたいけれど気の利いたものがわからない…と思ってしまうのです。

「お返しをしなければと思うのも、思わせるのも、お返しを期待するのもいけません。何かをもらって嬉しいと思うか迷惑と思うか、お返しするかどうかも、その方の自由です。

ただ、どんなことも心に留まったならば、あなたの気づきとして起こっています。つまりあなたが過去に、誰かに対してあんなにしてやったのに…という思いがある、ということに焦点をあててください。

好きなだけ与えて、与えられることを純粋に喜ぶ自分でいられるかどうか、つまりあなたが、あなた自身とお相手に対して愛の想いからでのみ与え受け取る、と決めて行うことが大切です。」

2024.8.22(今を生きる)

「日々明日の事を考え、昨日のことを思案するのではなく、今日今していることに誠意を込めることだ。何かを決めた後、これでよかったのかどうかを考えるのではなく、一つひとつその次へと向かうことだ。

雨の水音は心が休まる時と、淋しく感じる時、さらに雨音が耳に入らぬ時もあるだろう。大切なことは、置かれている状況の中で、何を感じて何をするかを意識して、嬉しさや歓びとして受け取れる自己であるようにすることのみである。とうに終わったことを反省ばかりせず、次へ、次へと今に向きあって生きることだ。」神社にて

2024.8.21(受け取ったことは伝える)

「天も地も、動物も植物も、皆精一杯、在り方で人々に届くよう示し導いている。それに気づいた者たちは、受け取った何かをそれぞれ大切なこととして伝えようと、各自できることをしている。

全く伝わらないということもなく、全てが伝わることも難しいのは、せっかくの学びの体験が、泡とならないように(目的を)わざわざ忘れている故である。心底(たましい)に響く者には、次の者へ知らせる志があるのだ。語り、伝え、自らの歓びを味わうことだ。」

2024.8.20(ふとその気になったらやる)

1日が経つのが本当に早い…。コツコツ出来事を記して残し、また次の1日を全力で愛おしむ方々は素晴らしいです。やり残したことのない毎日、欲からではなくJOY/歓びから選んで、まっすぐ向かう勇気と信頼。私はそれが欠けている気がして、目を背けているようです…。

「まずは目を背けていることを、一つひとつ解消していきましょう。多くはないのに、後回し後回しにして目に入っているのに見えない振りをすることで、大きくとても太刀打ちできないことのように感じているだけです。コツコツと、ふと気が向いたその時にやってみましょう。きっと、できます。嫌なことから目を背ける癖を無くすと、願望へもまっすぐ向かえます。」

2024.8.19(ネガティブな人が目についた時は)

「周りがどのようであっても自分らしく在るためには、何を見るか、何を見ないか、またはいかに言葉に囚われずに、軸を持ち続けられるかが大切です。

周りに起こることは、あなたが抱いている本音または考えを映し出しています。その目の前の状況を見ながら、自己の内側にある余分な考えに対して、それを認め、受け入れ、変化させていきましょう。

変わらない相手をいつまでも受け入れるのか、あるいは自分の期待にしっかり向き合って方向転換するのか、さらに周りがどうあれ、強くしなやかに愛を体現していくことに集中して、日々目標に沿って進化勉強していくのか、あなたはどのようにも自由に選択できるのです。

ネガティブな人が目についた時は、自身の中にあるそれと同じものを手放しなさい、というあなたへのサインです。その人を許すか許さないかではありません。」

2024.8.16(亡き方へ宣言する!)

「人によって、亡くなる瞬間を選ぶことは、以前にもお伝えした通りです。その方の性質、考え方や在り方にもよりますので一人ひとり違います。

愛を他へ拡げようとした方の多くは、愛する方を辛くさせたくないので、こっそりと息を引き取ることがあるものです。それを看取れなかった…、独りで逝かせてしまった…といつまでも悔やむことは(故人の望みとかけ離れているので)適切ではありません。

亡くなった(身体から出た)瞬間、自由になったたましいは大きく拡大して、瞬時に愛する人々のもとへ行き、安らかな寝顔を眺めて微笑んだり、一生懸命な姿にエールを送ったり、生前は行くことができなかった場や、会いたかった人々のもとへ行って、満足して旅立つのです。愛は死してなお、増え続けます。

それ故、悔やんだり嘆き続けるより、今自分が想ったこと、言ったことを聴いてくれているに違いないと信じて、これからあなたはどう生きていくかという決意を、その方を通して得た学びや愛や想いの全てに感謝しながら伝え、誓うのです。

それこそが、故人が何より嬉しい言葉であり想いです。その故人に対する想いは、すでに伝わっています。あとはあなたが、その方との関係性で学んだことをどう活かして生きていくかを宣言し、心を込めて日々実行していくことです。」

2024.8.14(自分に優しくするとは)

自分に優しくする、とは、どういうことでしょうか?

「日頃我慢していることやモノを自分に与えることだ、と、多くの方々は思っているようですが、それは半分外れています。何故なら、それをなぜ日頃我慢しているのか、そしてその我慢していたものを受け取ることでどんな気分や思いを抱くかまで考えずに、受け取ってしまうからです。

というのも、我慢するにはそれ相応の理由があります。お金のこと、健康のこと、時間のこと、他人と比べての自分など、それを(頭/理性と心で)納得できないまま自分に与える結果、喜びより『罪悪感』を手にすることになりかねないからです。

いつも我慢しているのだからたまにこれくらい…という気持ちで自分にそれを与えたところで『歓喜』に至ることはないでしょう。本当に自分に優しくする、とは自分に『歓喜』を与えることです。

自分の頭と心を澄ませて、その望むことをしたり、手に入れたり、食べたりすると、全身(全霊)が本当に嬉しいかどうかを自分に問うのです。

もう想像するだけで嬉しくてワクワクすること(決して優越感や罪悪感やお詫びの気持ちではなく、心からそれを望んでいる!と信じられ、受け容れられるもの)のみを、自分に与え受け取ることです。誰かと比べたり自分を卑下したりせず、大きな喜び/歓び=『歓喜』を毎日感じながら生きて下さい。」

2024.8.13(お盆には好物を一緒に頂きましょう)

お盆の供え物の習わしは地域によって随分違うようですが、その風習の他に、したいことは

「今日は故人と自分両方の好物を用意して、偲びながら(思い出して、語りながら)頂きましょう。(身体が無くなって食べられない、可哀そうに…)と思う必要はありません。ご自身もいずれ、味わえなくなる日がくることを教わっているのだと心して、両方の好みのものを喜んで頂きましょう。今日はそんなあなたを微笑んで見ている方々が、そこかしこに来ています。」

2024.8.12(誰もが独りではない)

お盆です。きっと多くの目に見えない方々がこの空気中にいらして、私達を優しく見護ってくれていますね、ありがとうございます。

「わたしたちは贔屓ということはしません。一人ひとりが受けとりたいように受けとっています。それはただ、学びのプロセスであり、その感じ方が心地いいかどうかで、それを分かち合える方と共に過ごしたらいいでしょう。押し付けたり無理に分かち合おうとせず、同じようにそこにただ喜びや元気や美や平安を見出す方々と共有したらいいのです。」

2024.8.11(木々からの言の葉)

高いところで折れて枯れて朽ちかけているのに、地面に落ちずに他の木に身を委ね、支えられ絡まりながらそこに在り、滝の水蒸気で姿が保たれて、まるで生きているかのようですね…

「在るということは、それだけで真である。人々もそうであろう、死んだように生きる者もいれば、一指も動かせないながらも、たましい/心の美しさの在り様で愛を他に示しながら生きる者もいる。それぞれに自由があり、体験があり、今が在る。さて、それでお前はこれから何をしてゆくのだ?」小さな滝がある公園でドキリとしました。

2024.8.10(問題は学びとみる)

これは問題だ、どうにかしなければ…と思うことが、よくないのですね?

「それは、何を学ぶかによるのです。打破を学ぶのか、気楽に視点を変えるのか、決める自由を楽しんで下さい。以前お伝えしたように、うまくいっていないことは何もありません。」

2024.8.9(神社にて③)

近所の神社に行って、一歩一歩近づきながら心の中で話しかけました。今日は心のモヤモヤを払いたくて来ました、と。すると

「門の前でそのモヤモヤを払ってから来なさい。ここはそれを吐き出す場ではありません。」

そこで私は、この10年、気づけばいつも急にご家族を亡くした方々に会ってきました。知り合う方々はたまたまそう決めた方だったのか、それは通常/普通より痛々しく感じて、…これは私の運命なのですか?

「通常とか普通などという生も死もありません。大きな誤解をしているようです。わたしたちがあなたにしていただきたいことは、ただすでに在る一人ひとりを励まし慈しむ(目に見えない)心の存在が、こんなにそこかしこに傍にいる、ということを伝えたらそれでいいのです。亡き人のみにとらわれず、わたしたちという宇宙の中での意識として伝えなさい。全ての音の中に、光の中に含まれるそれ/愛を、あなたが訳してただ伝えたらいいのです。」2021

2024.8.6(美しい姿とは)

なんて美しい空とあなた(大木)の葉たちでしょう!美しい姿を携帯電話を持ちあわせず撮れなくて残念です…と思った時に

「美しい姿とはいかようなものか?生に美しくない姿というものはない。」では死には美しくない姿が存在するのでしょうか?と訊くと「死という姿は借りの姿である。生という姿もまた借りであり、刻々と変わりゆき止まることがないように、死もまた枯れ朽ち変化して還り、また生へと誘われる。美しい姿とは、常にどのような形であっても、存在するものは全て美しいのだ」

2024.8.5(神社にて②)

昨日出掛けた山梨県の不二阿祖山太神宮(別称:富士山太神宮)『月霊感謝のみ祭り』にて、偶然来たのですが、月霊祭とは何ですか?と訊ねたら

「人々が毎月神であるわたしたちを想い/敬い/祈り/感謝を捧げる催しである。好きに行っているように見えるが、集う人々は呼び寄せられた人々であることが多く、人に影響を与える者が多い。我らにとって信仰とは、人々の望みを叶えるためのものではなく、人々に寄りて我々が在ることを知らしめるものである。命ある限り目には見えぬかもしれないが、在ることに目と耳と心を澄ますことによって、そこから生まれ出ずる者であったこと、そこへ帰る/還ることに気づき、思い出していくことだ。」

2024.8.4(神社にて①)

今日はお礼参りがしたいという友人に、山梨の新屋山神社へ連れて行っていただきました。その後、不二阿祖山太神宮へも行ってみたいというので向かった所、ちょうど『月霊感謝のみ祭り』が始まる5分前で、何故か着席してご神事を拝見する流れになりました。ふと、昨年2月に三島の瀧川神社へ行った際にも、ちょうどご神事が始まって頂いた言葉を思い出しました。

「人々の喜びと共に常に我らは在る。愛の波動、それはこのような歓喜である。生命あるところにのみ、それは現れる。肉体のあるうちは誠に幸いである。その『時』を一瞬たりとも逃さず、味わい、共に笑い、人々との懸け橋として歩むことだ。汝にも、全ての者たちにも、永遠の祝福のあらんことを」

2024.8.3(人生の捜し物②)

「捜していたものは見つかりましたか?あなたが生きてきた中で、後悔していたこと、苦しかった調和のとり方、アンバランスな関わり方、その一つひとつが、今の幸せへとあなたを導いてくれたのです。あなたの捜しものは『あなたの握りしめた拳を開いたら、それに気づく』ということでした。おめでとうございます。よく頑張りましたね。」

ねぎらっていただいて嬉しくなりました。相反する人/家族を理解し受容することが、相手が生きているうちに、それもこの数年で急速にできたのは、実は亡くなったご両親との葛藤を抱えて想いを聴きたい!と来てくれた皆様のおかげでもあります。

私達は実は『わたしたち』なので、無意識の領域の霊的癒しは同時に私にも起こっているようなのです。そしてそれは各々の周りや家族へと少しずつ拡がっていく…本当にお導きに感謝です。

2024.8.2(人生の捜し物①)

夢にまで見た…優しい、心からの笑顔に見送られました。人は変わる、もしくは、愛情深い…そこへ至るための時間と修練だったのかもしれません。彼女にとっても、私にとっても、有難い体験です。感謝しかありません…・

「今までの思い/恨みも全て昇華できたようですね。悲しみから怒りへ、そして恨みにまで変化させてしまったその基/原体験を、あなたたちは礎とすることができました。頑丈な鎧兜を脱いで、純粋な心/オープンハートで接することができて何よりです。感謝は感謝を呼び起こします。喜びは大きく波紋を拡げていきます。大切な一瞬一瞬を見逃さずに味わってください。」

2024.8.1(眠る/休む前にしてほしいこと…)

今年は富士登山や旅にも誘われましたが、断りました。何故なら、寝具の肌触りや香りが違ったり、いつもと違う音が沢山聴こえてくるとなかなか眠れなくて、心身共に消耗するからです。田舎への帰省すら苦手なほどです…。ただ、私にとって眠ることが大切で大好きな割に、とことん眠くなる明け方まで眠らなかったり…眠ることに罪悪感を持っているのかもしれません。

「眠る時は、脳に休息を与えて記憶を整理して蓄え、身体にも休息を与え、spiritが自由に動ける時間です。眠る時はこうであらねば…とか、その間にこうならなければ…という義務や過度の期待をしていては、逆に休めないことになってしまいます。

身体の声を聴くということ、痛みだけでなく、自己の身体の訴えを聴いたら、すぐにそれを実行すること、そして眠る/休む前には、脳には許しを与えること、身体とspiritには愛を伝えること、それがとても大切な習慣です。」

2024.7.29(インナーチャイルドを慈しむ)

世の中には自分だけでなく、身勝手な親の代わりを務めたり、親の伴侶の代わりになったり、子供なのに逆に親や家族の面倒をみて成人した方が沢山いるようです。

「お疲れさまでした。これからは、自分が認めず、蓋をして、ないがしろにしてきてしまった自分自身というインナーチャイルドを受け容れて、認めて、慈しんであげましょう。

ただ一人これまでもこれからも、いつまでもずっと寄り添ってくれるウニヒピリに感謝して、嬉しい!楽しい!を罪悪感など持たずに『考える』→『感じる』にシフトしましょう。」

2024.7.28(主役で生きる)

仕事の仕方を変える時のような気がします。あるいは一番したい事をもっとしよう、と。

「生活のために仕事をして、その分で慎ましく生活する。そのために自分を合わせて黒子役に徹する、その考え方を変える時です。

主役で生きずして、人生の体験は楽しめないのです。もっともっと愛を込めて人々に会い、愛を振りまいて伝えてください。それができる環境を作るのです。(誰もが主人公なのですから)ひっそりと生きる必要など無いのです。」

2024.7.27(テレパシー)

亡き人から、想いをテレパシーで伝えられていると感じる時がよくあるのですが、生きている人とも伝えあうことは可能なのでしょうか?

「どの位、右脳をもバランスよく使えるかにかかっています。送られたデータを視覚化しあうことが理解にかかせないためです。伝える時には、昔知らされたように、感情だけでなく映像で送るような意図/意識も重要です。集中すること、heartを澄ませてクリアにすることも大切です。」

昔知らされた…というのはおそらく、ある世界的に署名なヒーラーの方に「言語は違っても伝わるんだよ。でも君の頭の中は文章だけだから伝わってこない。もっと感じて映像を思い浮かべなきゃ!」と、20年位前に言われたことだと思います。実は私もかなりの左脳人間だったのが…今では嘘のようです。ただ、聴こえる時の私(の理性や感性)はまるで5歳児のようで、礼儀とか常識がほぼ飛んでいます。左脳が活発に働いている、大人の面の方々には失礼極まりなくなってしまって、ごめんなさい…と思います。

2024.7.23(見返りを求めるのは愛ではない)

「見返りを求めてはいけません。愛そのものとしてできる精一杯のことをする、それをしたらこうなるであろうと考えることは、愛ではありません。ただ何も顧みることなく、気づいたらしていた…ということが愛なのです。条件をつけたり安売りしたりせず、できることを精一杯行うのです。」

2024.7.22(過ちに思えたこと/自分をゆるす)

「思いが行ったり来たりすることを、悪と思わないでください。誰もが行き来してははみ出し、止まり、また立ち上がるのです。時は前へ進むもの、進まねばならないという考えは危ういものです。全ては同時にあるのですから。

故に後ろを向けと言っているのではありませんが、過去の懐かしき小さな愛、不器用ながらも一生懸命生きた者たちを慈しみ受容することが、あなた自身をゆるすことになり、救われ、癒され、満たされてゆくのです。過去を恥じることなく、その過ちに思えたことの一つひとつをも、微笑みと共に消化/昇華することです。」

2024.7.20(絶対に死にたくないというその方は)

誰もが死ぬのは嫌ですが、身体の衰えや栄養を受け付けない状況は嫌でも死を意識せざるを得ないことでしょう…。この夏、家族みんなに逢えて、心は穏やかであたたかく満たされますように。

「彼女は亡くなることを怖がっています。それが無になることだと恐れて、悔しい気持ちがあるのです。今は時折、もしかして本当に死んでも話せるの?という期待に逃げているといってもいいでしょう。いずれにせよ、死を恐れる必要はないこと、恐れるとそれが早まり苦しむことになるので、全ての時を受け容れ、喜び:至福へと向かうものであることを伝えてください。」

2024.7.19(始めて3年経ちました。ありがとうございます。)

亡き方の想いをお伝えすること、ご依頼者を導かれる場所へご案内することを始めたのは2021.7.19でした。お陰様で3年が経ちました。亡き奥様と繋がった記念に毎年逢いに来て下さる方と、4度目となる約束をさせていただきました。有難うございます。いつもたましいが感動して、共に温かい涙を流す至福の時間を下さり感謝します。『愛は死なない。強いのだ』という観念が、『愛は拡大して在りつづけるのだ』と思うようになりました。

「愛でないように見える孤独や悲しみが大きいからこそ、それが強く光を放っているように感じているのです。平和や安寧は今ここに変化しながら、瞬間瞬間に煌めいて在ることへと意識を向けてください。」

不思議なことに、故人は生前行ったことがない場でも私の感動を知ってそこを指定しますし、私達の脳が通常モードで考えている時でも、まるで私達自身がそれを食べたいかのように、思い出の食べ物を食べたくなるよう脳に刺激を与えることができるようで凄いなぁと思います。実は私達はそんな風に、結構多くの時を目に見えない方々と共に過ごしているような気がします。

私自身がそうでしたが、後悔や葛藤や哀しみが大きいほど、愛の光を強く感じるようです。そして実は、そのコントラストを体験したくて、ここに存在しに来たのかもしれません。ガイドが言うように、私達は変化しながら煌めいて存在しているのだから、心は揺れながらでもいい!と自分をゆるして笑って生きたいものですね。

2024.7.17(あなたはわたし…故に)

『あなたはわたし、わたしはあなた』故に、誰かをゆるさない、恨む、のは、自らをゆるしておらず、恨んでいるも同然。自分の怒りの大きさと、自分を罰する出来事は比例する…。そのカルマから逃れることはできないのですね。愛する故にしたこと、とは、言い訳に過ぎず、愛しているのに…と思うなら、それを相手に喜ばれる愛として与えることができるはず。理性/エゴでいくら考えても、何も解決しないのですね。

2024.7..16(思い出/体験と当時のみんなに感謝)

何故か突然思い出した『7/17明日は泰ちゃんのお誕生日!』…親しそうに書いても1994年頃だから、もう30年も前、柏の勤務先にバイトに来てくれた当時高校生だった女性です。今はお母さんを経て、おばさんになったのでしょうか。あの頃まるで何かから逃げるように(感じ過ぎる感性を隠し押し殺すために)一生懸命、論理的に説得しながら頑張れたのは、みんなが私を受け入れてくれて素直に従ってくれたから…。心から感謝しています。

「今を迎えるためにあの頃があった!と手応えと感謝を感じていますね。それと同じように、今そのものが未来を作っていくのだと認識して、流されるのではなく、流れを作っていきなさい。無理やり進んだり時流を読んだりするのではなく、ただいつも一生懸命、こんな嬉しい体験が出来て幸せ!!と感じながら生きてゆくのです。」

2024.7.15(子どもは親を選ぶというけれど…)

血の繋がりのない親子関係も、この人と生きよう!と決めてくることもあるのでしょうか?私自身、血は繋がっていなくて葛藤も大きく、心が繋がり始めるまで25年以上かかりましたが、そうとしか思えない気もします…

「もちろんあります。そのたましいと共に今度こそ、その学びから卒業する為であったり、どうしてもその存在と体験を共にしたいと願って血縁の枠外にでも滑り込む場合や、わざと葛藤して復縁/繋がり直す場合などです。いずれも大方お互いに約束して来ていますから、その互いの数奇な運命をも大喜びで過ごし、共に笑い合うことです。気づかない人々もたくさんいますが、大方は死の間際に知らされるか思い出します。全く、とんでもなく理想とかけ離れているようにしか見えなかったその関係こそが、あなた方自身がchoiceした関係なのです。気づいたなら、一層心を開いて受け容れて暮らして下さい。」

2024.7.13(どんな関係の人にも)

新緑のキラキラ輝く生命の美しさに見とれていたら

「安心して満足して、旅立っていった方々が、微笑んで見ています。命は循環していくのですから、今日のその気持ちをいつも胸に抱いて、ワクワクして生きて下さい。どんな関係の人をも、幸あれ!と祈り、願い、祝福して下さい。その方もあなたも、大きないのち/生命のひとつなのですから。」

2024.7.11(出会う幸い、応援しあう幸福)

「友情を育みなさい。穏やかな揺るぎない信頼を築くのです。自分自身と相手の方との『境目』や『違い』に目が向くとしても、同じ位、違い故の素晴らしい所があることを讃え、見習い、励みにするのです。目についたことは、あなたに必要なことや学びであったり、あなたはそう思っていなくても、あなたの内にも在るものです。出会ったことは幸いです。心が触れ合えるのは幸福です。あなたがどの位成長してきたかを知らせてくれる仲間を心から応援しなさい。」

2024.7.8(7回忌、33回忌、50回忌、100回忌…)

1年ですっかり気配のない方もいらっしゃれば、20年、30年、50年、60年…と、見護り続けてくださる方がいるのは何故ですか?心配で安らかに眠りにつけない…ということなのでしょうか?

「3回忌、7回忌、33回忌、50回忌、100回忌…という地域もあるように、spiritは自由なのです。彷徨っている場合でなければ、気にかかる大切な方の傍に時折来ること位、微笑んで認めて感謝していたらいいのです。

無念さを抱えたままのspiritは重いので、そうどこへでも、どこまでも着いて行くことは出来ませんが、ある程度どこへでも共にできるほど軽くなっていれば、不安に思ったりしなくて大丈夫です。あなたのご家族が、幼いあなたを(心配したあの日から)50年以上も寄り添ってくれていたように、その方々もまた愛ゆえに傍にいるのですから、嘆くことなく喜び、祝福しなさい。」

2024.7.6(誰もが最善の道を歩んでいる!と信じる)

最近特に出会いの一つひとつが、私自身の気づきと癒しに繋がっている気がします。どの視点から見るか見られるかで、全く別の意味になったり、交わしたい想いや愛が滞ったりしても、実はそこに在る(=隠れている)『ほんとうの想い』に気づける自分になりたいと思います。


「誰もがやるせない思いをしてこそ、自分の心の奥底の『ほんとうの想い』に気づくのです。強がっていても、愛情表現の仕方を知らなかっただけで、方法を知ることができたなら、愛し愛されたいと願って止まない生物なのです。


ただ、興味の対象、学びの題目は一人ひとり違います。心を澄まして、決して決めつけず、目の前の方も、自分自身と同じように『最善の道を歩んでいる』と信じていてください


あの人もこの人も自分自身も『最善の道を歩んでいる!』そう信じられたらいいですね。親子も夫婦も兄弟姉妹も、職場でも学校でも全ての人間関係においてそう信じることができるなら、きっとお互いに(干渉はせず信頼&応援だけするので)感謝しあって、幸せに暮らせるような気がします。

2024.7.4(spiritを感じて)

今朝、愛は『示し』愛は『導き』愛は『受容』愛は『信じること』ふと、そう感じました。

「誰かへの愛/思い残しが強い場合、それをずっと伝えたかったのに出来なかった…という想いと共に、彼ら(spirit)はまだ時折ここへこうして来てしまうのです。それは良し悪しではなく、生前に示せなかった愛を伝えるためであり、迷惑をかけたり心配させた分、幸せに向かってほしいと願っての導きであり、生きる者たちのありのままの心を理解して、愛を送り続けたいとの想いからなのです。

喜びに満ちていけるような生き方を志すことです。それはあなただけの問題ではなく、spiritたち皆を喜びに満ちさせ、あなたの周りの人々も幸せにするということなのですから。」

2024.7.3(自分を何に見立てていますか)

最近行く先々どこでも必ず、鳥たち(特にヒヨドリ)が現れて、歓迎され会話もできているような気がして嬉しいです。が、なんと、心を澄ませてみたら「あなたは蟻ではないのですよ。」そう聴こえてびっくりしました。

そういえば中3の頃、公園で一人ブランコに座って、よく地面を見つめていました。休むことなく自分より大きなものを背負って歩く蟻たちを見て、自分を重ねていたのです。こんな風に、蟻は気づいていないかもしれないけれど(頑張れ!よく頑張っているね!)と見つめている大きな存在が、私にもいたらいいのに…と願ったものでした。

そんなことをすっかり忘れて『考える忙しい自分』を生きて挫折して、33年後に『感じるほんとうの自分』になれた時に頂いた言葉が嬉しくて「あなたは誰ですか?」と訊いたら「あの公園で、あなたが望んだから、あの時からずっと観ています。」と言われて仰天したものでした。

あなたは動物に見立てると、自分は何だと思いますか?…私は、蟻になっていたようです(笑)

2024.7.2(過去の傷)

半年前に眠れない位悩んでいたことは思い出せないのに、30年経っても50年経っても忘れられない…痛みを伴う傷/記憶があります。それをそうなるよう仕向けてしまったのは、その相手/誰かやその出来事以上に、自分の思考/EGOだと理解できるまで、私は20年以上かかりました。いつも無意識に反復して思い返しては怒りを募らせ、世の中の全てをその視点で見てはそんな自分を罰し、自分の身体を蝕んでいたのです…。

でもその苦しい時期や時間のおかげで、今があります。正しく生きるべき!と思うほどに反動で誤った行動をとったり、周りの方々に傲慢になってしまったり…お恥ずかしい限りですが、だからこそ沢山学んで、間違いだらけの自他を赦すことができるようになりました。確実にあの頃があったからこそ今がある、そう思います。

2024.7.1(宇宙の計らいとリンクするコツ)

最近は願ったことがすぐ叶うようになったり、思いついたその瞬間に逃さず行うようにしていたら、ますますそれが導きでもあり、大切なことなのだと感じるようになってきました。

「天体の動きともリンクして変化する時なので、一喜一憂せず、ただそのことへの感謝のみで、他はそうなるという予測や、期待を持たないようにしてみてください。

一度決めたら何の期待もしないでいる方が、最適な時に最適な事が起こるのです。そう信じていることこそ、宇宙の計らいとリンクするコツです。理由とか原因とか心配とか不安とか考えるより、とにかく毎日を喜んで過ごすことです。」

2024.6.30(学びは順調)

「自然に抱かれて、なんて心地いい…とあなたが至福を感じていても、他の方は冷房の効いたカフェでお茶を飲みながら語り合いたいと思っていたりします。それはただ、習慣などの違いです。どちらも間違いではないので、残念に思う必要はないのです。

時間も愛も存在もお金もないと思えばなく、あると思えばあるのです。時間も愛も存在も、順調に冒険を重ねながら体験して学んできました。次はお金について、宇宙と協力するということを、体験して学んでください。」

2024.6.29(自分に素直に生きる)

職場で激怒する方を目の当たりにして仰天、萎縮してしまいました。そういえば昔から、怒りをぶつける人を恐れ、不快に思っていました。子どもの頃、大人達が怒りや不満をぶつけあうのを見て辛くて、自分は必死に我慢する…を繰り返して、もしかして自分の内側に怒り/悲しみが貯まってしまっているのでしょうか…

「『短気は損気!』とその怒る方々から教わって、なるべく我慢する癖がついたようですが、大人になってから、実は怒っていたこと=悲しかったことを伝えた方々と、今もなお、仲良く過ごせている事実を認め、それができるようになれたことを感謝して下さい。怒りの底にある悲しみをしっかり癒していくこと、そのために怒ってもOK!と、自分に許可することです。それを心に留めて、自分に素直であってください。」

2024.6.27(惜しみなく与え、恐れずに受けとる学び)

自分が与えたいもの、自分が欲しかったものではなく、相手が欲しいもの、相手が喜ぶものを与えること。

2024.6.26(実はバトンを渡されている)

先日たくさん手作りのお菓子やお惣菜を頂いて、とても嬉しかったです。カフェで待ち合わせたその方に、ふと女性を感じたのでてっきり亡きお母さまかと思いましたが、実は亡きお姉さまだったのですね。お菓子作りがとても上手で、皆さんによく配っていた方だったと聞きました。それをするように、妹さんを導いたのですね。

「志半ばにして亡くなった方々は、自身が体験して嬉しかったこと、人に喜んでもらうことの喜びを、引き継ぎたいと願うものです。遺されたご家族が悲しんでいると、なおさら、それを強く願っています。

実はspiritにとって、楽しくて人に喜んでもらえて嬉しかったことを、生きている方々にバトンを渡せることもまた、大きな癒しです。姿は見えなくとも(いつも)共に、感化し合って生きて(在る)ことを喜んで下さい。」

2024.6.25(富士山五合目にて)

昨年9月末、富士山五合目の山荘に宿泊して、夜まあるい大きな月を眺めた時に頂いた言葉です。

「良く来ましたね。宇宙に近いこの場所へ。あなた方の周りには、あらゆる生きもの達が創出している氣/エネルギーが満ちています。地上の生活の中では殆ど感じられないそれを(空気の澄んだ)ここで、存分に吸って満たされていってください。

中にはそれがわからない方もいるでしょうが、身体の細胞が喜んでいる感じがするなら、それで充分です。今からさらに自然と一体化して、地球が味わっているような苦しみや痛みも感じる時もあるかもしれませんが、それでも陽は差し、皆さんは暖められ、守られていると感じる心を大切に生きて下さい。」

2024.6.24(夏至に頂いた言葉)

「転機の時を迎えました。前回から今までの、どんな誘いにもYESと言う訓練の次は、自分の真の願いに沿っていないことにはNOと言うのです。愛のように見えて淋しさ故のものがあるように、見た目が似ている場合も多い中で、自分が真に満たされるものとは何かを意識しながら、選択していくことです。申し訳ないから…、せっかくだから受けとる…のではなく、本当に心から大喜びで受けとるのです。」

実は何にでもYESと言うように!を実践していたら、お誘いが嬉しくてワクワクして眠れない、日々充実しているけれど慌ただしくて焦ってミスをする、のんびりできる日にも神経が休まらない…等、通常たっぷり寝る派ですが多少寝なくても何とか活動はできそう…と知ったのと同時に、やはり弊害もあるなぁと感じていました。これからは『真に自分が満たされるものとは何か』を意識しながら、選択していきたいと思います。

2024.6.22(形に拘らずに)

「わたしたちは、より多くを与えたいと願っています。すでに常に与えています。形ある期待などという小さなものでなく、想像を超えたものを、受け取る準備ができた者たちへ。希望という『光そのもの』を見なさい。」

2024.6.21(あなたはわたし。わたしはあなた)

『あなたはわたし。わたしはあなた』この概念を、私が完全に理解するのはまだ先かもしれませんが、今まで私が亡き方々から想いを受けとって(故にこうなるのか…)と思ったことを少しシェアしようと思います。自分が出した念の悪波動は周りの環境だけでなく、自分の身体を侵食するので、誰かを嫌う、憎む、恨んで赦さない…等は、自分自身を嫌い、憎み、恨んで赦さない…のと同じことなので、自分自身が重い病になるようです。

早くに重い病で亡くなった方々の多くが「〇〇を許せなかった」「自分が大嫌いだった」「世の中を恨んでいた」等とおっしゃり、「その強い思い/怒りが、自分の寿命を縮めてしまった…だから、お前はそうならず、人も、自分も愛して、笑って生きて!」と、皆さま同じようなことをご遺族へお話されていました。

実は私も様々な病気を何度も体験してきましたが、思い返してみれば、会社や誰かを許せなかった時、自分自身が大嫌いだった時、そしてそれが高じて(感じる本当の)自分の存在を否定し続けた時に癌になってしまった…と感じています。たぶん、人を愛することと自分を愛することはどちらも=で必須です。期待通りの自分でなくても、期待通りの相手でなくても、むしろ期待と真逆な親や子どもや自分であっても、笑い飛ばしましょう!

2024.6.20(この世にいることを心配しなくていい)

何故、セッション時以外でも私に明確に想いを伝えることができる方と、できない方々がいらっしゃるのでしょう。近寄られるとただ頭痛がするような…波動が低く安定していない方々は、未成仏なのでしょうか?

「実はspiritにとって、成仏という観念はあまりありません。この世界への興味や好奇心、そして心残りや執着がなくなれば、自然に離れていけるものです。つまり、生きている方への想い、かつての自分自身で得られなかったものを求めたり見ようとしている間は、最高善福/至福を感じるまで、(感じる者たちを)見届ける者たちもいるのです。

愛の学びだけでなく、昔からの傷をなんとか癒そうとする者、他へバトンを渡そうとする者など理由は様々です。それをいちいち、この世にいるのに言葉などで伝える力を持たず気の毒に…等と思う必要はありません。皆、好きなように在ることが可能なのです。

ただ、願わくは、純粋意識/光に還る方が護る力は増し、伝える力も増し、地上が平和になるのは事実です。平安な世界になるために、誰もが癒され愛に目覚めることはとても大切です。」

2024.6.19(見えるのは自分自身)

「これから、本当に必要な方々と出会っていきます。自分自身を確かめる段階から、他の方々へと心底向かうのです。見える相手は自分自身だとしても、心して愛を感じることです。」

いつもおどけている人、悲しみを抱えている人、怒りを抱えている人、人を責める人、自分を責める人…、自分の目に留まる人は、自分もそうだからと学びました。次は、だから好き、だから嫌ではなく、その状態のそれぞれ/自他をも受け容れる、ということなのかもしれません。

2024.6.17(身体を整え、心を調え、感謝して暮らす)

疲れているのに神経が冴えて眠れず、指はぱっくりひび割れ、体調が悪かったことの全てをspiritのせいにしてすみませんでした。きちんと眠ろうとせず、ストレスで欲望に負けて大量に食べ、消化に時間がかかって眠れない…私の行動が招いた悪循環だったのですね…2024.1

「疲れることも、痛みを感じることも、身体が在る故の感覚です。身体の状態と相談しながら暮らすことです。あと一歩遅ければ…という今までの経験を無駄にしてはなりません。自分自身に癒しを与え、歓びを受けとってこそ、他の方々へとその重要性を伝えられるのです。特に今は波動/エネルギーが変化しやすいので、感化されやすい人々は調えることが大切です。」

私達は身体を整え、心/精神的にも調え、嬉しいなぁ!有難いなぁ!と頭/理性でも納得して暮らすことがとても大切なのだと思います。実は昨年12月後半の繁忙期に、私の思考や行動が落ち着く深夜や明け方になると、音や波動/振動で来ていることを知らせようとする目に見えない存在たちにキレで怒鳴ったことがあります。「勘弁して!私は生きているの!明日も早くから出かけるんだから寝かせて!」と。(後にその存在が誰かだったか知って愕然としましたが…)

生前の感情が癒され昇華され愛の光のような状態になっていると、私の状態を察知できてタイミングも見計らえるので、心を澄ますと想いを受けとることができるのですが、まだそこへ至っていない方々は、やっと出せる音に頼ろうとするので、正直とても困るのです。私も夜パートを頑張ってクタクタで帰るので、心身共にリラックスしたいですから…。

もう最近は、よく音を出される所に張り紙をしてあります。私に万が一のことがあった時に、この張り紙を見た方はどう思うだろう?と思いながら…(笑) でも私には重要な問題なのです。今は『自然の中で、ご遺族の方と共に過ごす時しか受けとらない』と決めています。もしも、これを読んでいるあなたが突然亡くなって、私のところへ直接来ても、私は受けとれないことを覚えていて下さい。必ずご家族の皆さまへ、私に会いに行くよう働きかけてくださいね。もちろん今日、今のうちに、ご家族や大切な方々へ素直な本心をお伝えしておくのが一番です!

2024.6.14(愛は、贈るもの)

時に優しく、時に冷ややか、時に親身で、時に無関心…という、気分がジェットコースターのような友たちを見て、ふとかつての自分を思い出しました…。

「もう、自分なんかどうしようもない人間でダメだ…、そう自分自身でレッテルを張り、一人では立つことすらできないような時でも、自分を好きでいてくれる人やきっと大丈夫と信じてくれる人がいて、最後には死まで考える長く苦しい日々を過ごしてきたからこそ、今のあなたがここにいるのです。

あの苦しさと、自分も人生も許せなかったからこそ、今の平安と心の安寧のために、何が大切なのかをひとつ一つ、身体/bodyのために、理性/mindのために、心/heartのためにできることを学んでこれたのです。その時その時(もう大丈夫!)(やっぱりもう駄目…)と、まるでジェットコースターのような起伏があったおかげで、あなたは口/言葉にできていない自分/部分が在ること、口にしやすいのは強がりや思ってもいないようなことだ…と、知ったのです。

そして、それを知ることは、他の(あなたが認められ愛されたかった)人々にも、同じような所があり、誰もが決して完璧な親、完璧な上司、完璧な人など存在せず、不器用で情けない…本心を言うのを恐れている弱虫でもあることを、ゆるせるようになるためだったのです。

愛は相手を心配することではありません。相手を変えることでもありません。

変わりゆく相手を、そのまま受け容れ、関係性や繋がりに感謝しながら、ただ共に在ることを幸せに想うことです。誰も、辛さや苦しみを肩代わりすることは出来ません。それでも、その辛さや苦しみが軽くなりますようにとただ心から祈り、まずは自身の心の安寧を計ることです。そして、愛や励ましを直接伝えられずとも、受け取ってもらえるかわからずとも(気づかれることすらなくても)、贈ることです。

姿/身体 無き者たちは、皆、そうしています。」

2024.6.13(欲してはいけない?)

肩の痛みが腕に拡がり、指まで痺れるような状態になってしまいました。旅行に行くことなど…、無意識に欲してはいけないものを欲しているからでしょうか?

「欲してはいけない、とは、誰が決めることでしょうか?それを願うことを認めていない、または願っていることを無意識に罰している故の痛みだとしても、それを罰しなければ!と決めて、実行しているのは、どこのどの者なのでしょうか?

あなたは楽しむことや、もっと…と欲することを、罪悪/強欲と捉えていませんか?その視点と目的意識を変えることが大切です。今は痛みの原因をあれこれ探るより、どのようにしたらもっとたくさんの方々を喜び/歓びに繋げられるかを願い、一人でも多くの方々へ愛を伝えてゆくのだ!という決意が重要です。」

2024.6.12(丁寧に生きるとは)

丁寧に生きるとは、どういうことでしょうか?

「今を最大限に活かして生きる、ということです。多くの場合、今日は休みだから、仕事が終わって疲れているから、明日は用事があるから…と、今どうしたいかより、今をこう使った方がいいに違いない、と判断して過ごしています。それをほんの少し視点を変えて、昨日までのこと、さっきまでのこと、明日のことを基準にしないで、ほんのちょっと、目を閉じて胸に手を当てどうしたい?と聴いてから、することを選択すればいいのです。

誰もが気にしながらも、後回しにしていることがあるものです。でも、後で読もうとした本の中に、そのうちに観ようと思った映画の中に、今のあなたのためになる言葉や場面があるから、あなたのそばに集まってきたモノたちかもしれないのです。頭で考えて行動するのではなく、ふと湧き上がる自分の心の奥の想いを感じながら、たくさんの恩恵を受け取って暮らして下さい。」

2024.6.11(娘さんへ想いを伝えた後に頂いた言葉)

「えいこさん、ありがとう。嬉しそうな娘の顔を見て、心を感じて、切ないほど有難く感じました。やはり私は…早く逝くことを望んでしまっていたのかもしれません…。生きているうちは、誰もそんなこと願うはずない!と思っていたけれど、私がお義母さん、お義父さん、主人のおかげで、人の話を聞ける私になれたように、幼い頃からの家族との葛藤、聴いて欲しい、わかって欲しい、わかってくれない…を体験したからこそ、たくさんの方々に慕っていただけるようになれたのですから、あの子たちと旦那さんにもそれを頑張ってね、と、決めたようにも初めて思いました。こちらに来て一人ひとりの心を感じることによって、生きていた私を見守ってくれていた祖先の皆さまの想いを知り、改めて〇〇家に嫁いでよかったなぁと思えてなりません。」

この言葉のあと、ご主人やお子様達への言葉が続きました。それは、それぞれの現在の心情を細やかに察して理解されているんだなぁ…と感じるような心温まるものでした。人は亡くなっても、愛は続いていくのです。

2024.6.10(体調不良のおかげで)

「久しぶりに体調が悪くなって、身体の不調もさることながら、そのせいで出来なかった事に対する、ご自分の思いに気づけたでしょうか?頭ではやりたい、実はやらねば…と思っていたこと、気持ち的にはすべきことで、させて頂けて有難い!という想いもありながら、どこかマンネリになっていた事柄を見直す時なのです。

つまり少しの間、体調が悪くて「やらねば…」から解放され、喜びもあっただろうと思いますが、その事柄に使命だけ愛だけ感謝だけ…ではなく、慈しみを持って行うこと、行えることがすなわち祝福なのだと気づけたことでしょう。ご自分をちっぽけな一粒と思わずに、宇宙の中の地球の一員として、日本に生まれたことを喜び、その役割にご自身でワクワクするような名前をつけて、意図し意識して歓びと共に行って下さい。」春分の日

2024.6.9(本当はいつも彼らは語りかけている)

誰かの投稿で見かけた「神はいつもささやいている」…確かに、目に見えない方々は、いつも語りかけている、と、私も思います。考えること、判断することを止めると聴こえる、と…。

「そうです。どんな時も心を澄まして聴こうとすると、聴こえるを通り越して、理解できるのです。誰かを見た時に感じること(湧き上がる感情や考え)は、あなた自身に関わること100%であるように、思考は自己投影を行いますが、心の底/たましいの想いは(共振して)純粋に一番自然な流れを受け容れられるのです。」

でも…、だからこそ切なくなる時が、以前は多々ありました。実は…私に逢いたいのではなく、亡き方の想いや何かアドバイスを知らせてほしいだけ…?と。その葛藤は、やっと最近ほとんどなくなりました。そう初めから言っていただけるので「今日は(見えない方も)ご一緒に観光しましょ!」とスイッチをオンにできるし、それが見えない方々の喜びに繋がり、私もそれに共振して嬉しい気持ちでいっぱいになるからです。

彼らのささやきや想いを聴くために『瞬間的に心を澄まして頭もクリアにする=その間は私自身ではない』というジレンマ/思い込みは、エゴが創り出した幻想で、実はいつか私達全員が感じることになる『わたしたち』なのかもしれません。

2024.6.5(いずれひとつに還るのだから)

最近目の前のことでいっぱいで、SNS投稿したいことがない、面倒になる時があります…

「かと言って、何も感じていないわけではないでしょう。自分を感じることは生きること、考えることも同様、生きている故です。あらゆることや他が、自分自身と異なるものであるのは幸いなことです。あの光のもの達とひとつに還ることを、あなたは悦びと捉えているようですが、姿形肉体があることはなんと素晴らしい体験でしょう!もっともっと楽しんで下さい。」

2024.6.4(理性では 認めがたくても)

最近故人セッションを通じて感じるのは、大切なご家族を自死によって失ったことも、病気などで突然失ってしまったことも…そんな生きる望みを失うほどの哀しみが、深くて大きな、人としての自他への慈しみに変容すること、そして生きる中心軸に(常識や思い込みではなく)揺るぎない愛を据え置かせてくれる、ということが多いことを垣間見せていただいています。

そしてその方々は、故人の想いを知って受け容れることができた時に、失ったものより、愛の思い出を沢山もらったことに気づいて、それが強さに変化して生きる力が増し、本当の愛や想いを伝えるよう実践し始め、在り方や言葉かけが変容していくようです。それはまるで、そうなること、そのように生きること…を、腹に決めるために起こったのだろうか…と思うほどです。もしかしたら苦しい関係や哀しい別れも、認めがたいですが、恩寵なのかもしれません。

2024.6.2(人と違う道のりを楽しむ)

まだ絶対死にたくない!と意識して、お稽古事を教えることを頑張る先輩に比べて、私は怠けているような気がしたり、羨ましく思ったりしてしまいます…。

「人と比べる時は、条件について考えてみることです。自分を卑下する為に比べるのではなく、何故そこへ至ることができたのかの条件や理由をきちんと分析するのです。そうすると、例えばあなたより20歳も年上であるとか、それを教えてくれた師をたてることに繋がるとか、好きなことであるとか、条件が違うことに気づくでしょう。

あなたは独自のプロセスを経て、師/マスターなしでしたいことを見つけ、行うことに楽しみと喜びとやりがいを見つけました。その次の段階は、これからいかようにも20年かけずとも変えていけることに気づくべきです。楽しむことです。遊ぶように体験するのです。従来の型に全くはまらない、そのセッション観光の意外性を共に楽しみ、楽しませる、ようにです。

大切な人を亡くして切ない気持ちで過ごしている方々と、身体を失ってしまった方々のために祈り、どうか明日へと繋がるように…と心の安寧と幸いを祈りながら、自分がしたいこと、すべきことを明確にするためにだけ比べるということをしてください。まだまだこれからです。」

2024.6.1(喜びながら 願う)

強く心の芯から願うこと、そしてそう在ることを喜び感謝することで得られる(叶う)ものと、不安ながら願うのとでは、受けとるものに雲泥の差があるのですね。『常に喜んで生きなさい』とは、そういうことなのだと思えるようになってきました。

「今は風の時代。瞬く間に願いが叶い、時の流れを一層早く感じる日々を過ごしているのです。どの方にとっても、最善の己の道を歩んでいるのだと信じること、純粋な自己の願いに、素直に正直に向かうことが何より大切です。自分も人もジャッジしている暇などないのです。より一層楽しい方へ、嬉しい方へ、大喜びしながら向かってください。」

2024.5.31(春、風邪をひいた時に)

珍しく風邪をひいたのか、喉が痛くなりました。が、実は何か…甘えたり、助けてと言えなくて、喉が痛くなったのでしょうか?2024.3

「原因はどうにでも後付けできます。理由を知るために起こる場合と、生活のリズムを見直したり、食物を見直したり、身体に滋養が必要であるなど様々です。ひとつのことに的を絞り過ぎると、残念な結果になることがあります。またぶり返してしまうのがそれです。

身体と理性と感情の面で心当たりを修正し、今は雨を介して、多くの浄化した濁りや、悲しみや、どうしようもない哀しみまで大気中に漂っていますから、それらを凌ぎ、はねのけるほどの歓喜へと向かって、鋭気を養ってください。」

2024.5.29(自死された方の想い)

これは…自分でも、忘れようとしていた後悔の実話です。私が中学生の時、小さな部落という感じの村から、市へ引っ越しました。当時人間不信だった私は、特に馴染もうともせず愛想が苦手で笑えない子でしたが、優しく話しかけてくれたのは明るくて人懐こい女の子でした。

彼女は、出掛ける時には親子3人で手を繋いで歩くほど家族仲がよくて両親が大好き、学校も大好き、友達も大好き、大きな声でよく笑う一人っ子で、そんな…何から何までが私とは正反対でした。唯一の共通点は、お父さんが電気屋さんを営んでいたことでした。ところが、中学3年のある日、彼女のお父さんが借金を苦に自死されてしまいました…。

彼女の悲しみようは言葉にはし難く、今でも申し訳ない気持ちがあふれてきますが実は、私のことを親友と言ってくれていたその彼女を、私は裏切るような行動をしてしまいました…。一人で初めてお通夜が行われていた彼女の家へ行った時「あとで、隣の部屋で父が眠っているから顔を見ていってあげてね」と言われたのに、私にはそれが出来なかったのです。部屋にいるうちにどんどん…とんでもなく重い何かに押しつぶされるような感じがして、身体が震えて冷や汗が背中を伝っていたたまれなくなり、そそくさと逃げるように帰ってしまったのです。

その後、彼女とお母さんは、お母さんのご実家のある北海道へ引っ越して、それきりになりました。あの時はまだ、自分に覆いかぶさってきたそのとんでもなく重い何かが、いったい何だったのかわからなかったのですが、今ならわかる気がします。それは、この世や自分の人生からの逃避を願い、無になってもう何も感じなくなる予定だったのに、死して尚自分が存在し続ける驚き、自分の死で愛する家族を悲しませていることへの哀しみと後悔、その家族へもう何も伝えられないという絶望、誰一人気づいてもらえない孤独…等だったのだろうと思います。

でも、亡くなってからそれらを認識し、絶望の淵にあって成仏できないていても、葬儀や法要を順に経ていくことで、そして、遺した家族や大切な人々が自分の死を乗り越えて強く生きてくれることで、少しずつ癒されて源/光に還っていけるようです。私はセッションを重ねるごとに、遺されたご家族の生き方や考え方が、彼らの重い波動(未成仏)を変化させられることを知りました。怒りや哀しみや絶望の波動から、自らを受容し感謝や慈しみや愛の波動へと変容するのはspiritだけでは難しく、生きている私達の在り方や心の持ちようがとても大切です。

きっと、それらをお伝えしていける自分になるよう私自身が精進することが、あの時、あの体験をした意味なのだろうと思います。私達は変わっていけますし、spiritも共に変容していけます。北海道へ発ったかつての友と亡きお父さまへ、感謝と祈りを捧げたいと思います。合掌

2024.5.27(月日と共に)

思えば2011年、当時仕事中毒だった私は、乳がんと言われて動揺しました。初めて休暇を申請したら、上司に南国での気分転換を勧められ、癒しの島と聞いたハワイへ行きました。その翌年には亡き父の希望で、原因不明の吐血で落ち込んでいた義母を連れて再度ハワイへ。すると二人共、身体の不調がなくなりました。その翌年、アランコーエン氏のマウイ島リトリートでさらに不思議な体験をしたおかげで、見えない方々の言葉をSNSで伝えるようになりました。最近そのリトリートでご一緒だった方々から連絡を頂いて、話す機会がありました。あれから11年…私は、あの時感じさせていただたことをきちんと使えて/仕えているでしょうか?

「ひとつのことを起こし、それを続けるということから生の営みは続いていますが、はじまりはいつも揺らぐものです。あの時、あなた方に行われたことは、今あなたの目の前や周りで起こっていることを、いつかの記憶や思い込みによって、自分自身をジャッジして罰することを止めなさい、ということでした。

誰もが自由を謳歌していいのだ、ということを受容するために、真逆で、驚くような方々と出会ったのです。時に泣き、時に大笑いして、お互いの在り様と、師のたおやかな有り方に感心もしたことでしょう。そしてそれからの月日で、その時の一人ひとりが『自由』/フリーダムへと歩み出して今があるのです。

過去とか記憶とは曖昧なものです。どう意味づけるかで、やるせなくなったり、救われたり、起爆剤にできたりします。各自のたましいの進化は、観ていて本当に嬉しものですよ。でもやはり、それすら何も自覚無しに、日々悩んだり、つまづいたりしながら、体験できている今、その身体が在ることこそが最幸なのです。もっともっと楽しんで下さい!」

2024.5.25(ほんとうの想いを感じて生きる)

実は自分もそうですが、世の中には思考型の人が圧倒的に多いような気がします。直接会ってお伝えして、感動して目に見えない方々と繋がったように感じられた方も、日常に戻るとまた思考による判断(誰かが悪い、見えないからいない…)に、戻る方もいて残念な気がします。

「いつも子供のように無邪気な心でいられたらいいのですが、思考は各自の為に良かれ、守らねば…と、目まぐるしく自他を判断するよう、頑張って働いてしまいます。それはもう、ご本人の意志に委ねるしかないのです。いつかとうとう人生から旅立つ時を迎えて我に返り、自分と人の『ほんとうの想い』に気づくしかないとしても、強制は出来ません。

それでも、今もなお、あれこれ考える思考型のあなたですら、素直に信じて明け渡し、委ね、受容できるようになり、スイッチのオンオフも出来るようになったのですから、あなたはただ観察し、その方が受けとれるちょうどいいタイミングが来たら、わたしたちの想いを伝えてくれたらそれでいいのです。残念に思うことも、心配することも全く必要ありません。全ての人の歩幅も速さも、それぞれにちょうどよく合っていることが、肝心で大切なのです。」

2024.5.22(神仏や宇宙の計らい)

2日間、遠くからお越し下さった方々と、三島近郊と富士宮市まで出掛け、充実した楽しい時間を過ごしました。お帰り間際に尋ねられて自分の幼少期や生い立ちの話を始めた瞬間、理性の自分/エゴが立ち上がり、口調もやや険しくなり、正直内心焦りました…。でもそれらの逆境のおかげで今がある、と、その方々にもご理解いただけたように思います。

「心の持ち方ひとつで、悪しきことと思われたことや恐れた人々が、実は自己を高めてくれ、導いてくれたのだと理解できたことでしょう。それを人生の糧と決めてきた方もいれば、因果応報により受けとることもあるものです。

ただどちらにせよ、その時はどんなに打ちのめされたように感じても、周りに助けがあり、幸せを願う人々がいてくれてこそ、神仏・宇宙の計らいが誠にあると身に沁みてわかり、感謝の念が深まるのです。周りの一人ひとりを大切に想い、愛がある言葉をかけてゆくことです。」

2024.5.19(個を楽しみ味わい尽くす)

「いずれ光となり、風となり、闇となり、全てのものとなり、何ものでもなくなる。今ひとつ身体が在り、ひとつ個性が在ることを、何より喜べ。それ以上の幸せはないのだ。

病があろうと、多少の不具合があろうと、命が、個が感じられる幸せを味わい尽くせ。またとない機会を無駄にするな。生命の星に生まれた名誉を楽しむことだ。」

2024.5.18(真逆もまた偏り。中庸を目指す)

様々な…ご両親とは真逆な生き方を、必死に頑張っていらっしゃる方が多いように思います。

「過去にされて辛かったから…と、人はどうしてもその真逆の在り方や言い方や行動を心掛けるようになりがちですが、されたことの正反対ばかりをするのも偏りですので、やはり同じように喜ばれることではありません。

どんなことをされても、その奥にある想いのほうを見つめるようにすること、反発して真逆に傾いた軸で生きようとせず、中庸を保つ自分を目指すことです。誰もが生まれてから死ぬまでの全ての体験が、どんなに年をとろうとも、親になることも、老いることも、病に罹ることも初めてなのですから、完璧な人などいないのです。

その自身の体験を『原因』にするのも、『糧』にするのも自分次第であり、それは人の為に使うものではなく、自分自身の進化のために大切に使うものなのです。」

2024.5.16(私達の強い想いは周りに波及している)

「あなたにとってとても嬉しいこと、とても悲しいことは、多くのあなたの親しい人々にとっても、あなたを見つめている見えない存在たちにとっても、とても大切な気になることです。無理をせず、我慢もせず、嬉しいことは喜びが拡がるように、悲しいことは分かち合って軽減するようにしていいのです。あなたと、あなたを取り巻くすべての者たちのために。」

2024.5.15(ちゃんと伝えて生きて)

「ごめんなさいと、ありがとうを、素直に伝える人生を生きて。言葉は元気な人を死なせることもあるし、死にそうな人を生き返らせたりもする。自分の想いをちゃんと伝えて生きて。」

2024.5.14.(繋がりを感じるには)

私が見ていて繋がったな…と感じるのに、どうしてご本人にはわからないのでしょう?

「繋がっていると実感がわかないのは、理性が(その証拠はどこにも見当たらない!)と疑って否定してしまう故です。疑いは形状を変えて現れ続ける煩悩のようなものです。疑いが微塵もなく委ね信じ切ることが、感じるための大前提です。又は、脳/思考の働きが著しくハイモードか、ローモードの時だけです。心にも触覚がある…と感じたことのある人は増えています。感じる感性を開拓することが大切です。実はただ思い出す、気づくことでもあるのですが。」

2024.5.13(こちらからは見えなくても)

母の日のプレゼントは、感謝を表す、伝えることが一番ですね。でも残念ながら、既にお母様は他界されている方も多くいらっしゃることでしょう。そのような場合には、お世話になっている周りの高齢の女性に、日頃の感謝の気持ちを母の日に乗じてお伝えするのがお勧めです。

私の母は私が2歳の時に、私を普通に育てることができなかったために離縁され、その後懇願するも私に再会することは叶わないまま47歳で亡くなりました。その亡き母に、虐待と思われたことの真相を40代後半になってから聴いて驚いたり納得してからは、産みの母と育ててくれた義母にも感謝できて、その他の方々へも心を込めて向き合うことができるようになりました。

恐ろしいことに、心の内側に母親への怒りがあったうちは、目上の女性全般へ素直になれなかったり、疑いを持っていたような気がします。でも今現在は、母の日の私の誰かへの行為と好意が、亡き母の無念や後悔を癒し、さらにとても喜ばれている!と感じられます。そして、そんな母の想いを共感できる度に嬉しくて、私自身もなんて有難くて幸せ♡と思うのです。亡き方々は私達を観ています。できれば、故人が喜ぶような生き方を目指したいですね。

2024.5.11(問題と思わない)

仏舎利塔やお寺へ行ったり、お伝えしたりした日は、殆ど朝まで眠くなりません。感動する度にこれでは…大丈夫でしょうか?翌日が心配になることがあります…。

「眠れなくても、心配せずとも、そもそも、問題と思わなくていいのです。過去の事例や記憶から憶測し懸念するのは、時の無駄使いです。実際にそうなった時に、対策を考えればいいのです。思い込みの方が、逆にそれを招くので気をつけて下さい。」

2024.5.9(あの頃の悲しみと苦しみが…)

悲しみや苦しみや痛みを抱えながらも、強く信じて(生きたい!)と揺るがずに願えるようになりたいです。早く逝けたらいいのに…と思うのは、生きたくても生きられなかった方々に対して罰当たりな考えですね…

「誰もが無意識の領域で繋がっていますから、実は共通の悲しみや共通の苦しみを持ってもいて、それはつまりあなたや誰かだけのものではないということです。ただ、それに意識をフォーカスし続けて地べたばかり見て歩くか、青い空や遠くに見える海や山を目指して歩むか、の違いなのです。違っているように見えても、背負っているものは皆同じなのです。

心を澄ませて、耳を澄ませて、たくさん抱えている人々ほど、他の者たちへの慈愛に満ちていることを感じてください。自己ばかり見ている人々は、自分の足元しか見ていないのです。どこを見て歩くかは自由です。どんな気持ちで在るかも自由です。あなたが心地よく、そして周りの方も心地よくいられる方を選んで下さい。その悲しみも辛さも、あの方々の悲しみも辛さも、原動力となり得るものなのです。現に、あの頃の悲しみや苦しみのすべてが、今のあなたを形成してくれたのです。」

2024.5.7(いつかのいい日のために)

山元加津子さん(かっこちゃん)が作られた映画「1/4の奇跡」を見たり、著書を読ませていただいてから「いつかのいい日のため」にこれが起こった、これもきっと宇宙/天の計らいと信じることの大切さをしみじみ感じています。何故あんな別れ方(死別)をしなければならなかったの?と思っていた方々が、亡き方が今も在ることを知って、その後、ご自身の想いや愛に忠実に生きる姿勢へと変容されていく…、三島で私と会うことすら決まっていたのでしょうか?

「水が蒸発して雲になり雨粒となって降って川や海へ流れるように、ただ姿形を変えて流転しているものがたくさんたくさん数えきれないほどあり、それはcircle/円環を成しているのです。個として感情を味わえること、それを感動したと表現もできること、その喜びに達している今を、悩み惑うだけで終了することのないよう気をつけて、笑って過ごしなさい。たくさんたくさん陽ざしを浴びて、元あなた方のような姿だった存在たちと共にそこに在ることに気づき、歓び、感謝して暮らすのです。それにより喜びが何倍にも拡大します。」

2024.5.5(無条件に信じあえる関係を築く)

時にダメダメでグダグダな自分を、もう自分で信じることが難しいような時でも(この人は私を信じてくれている!)と思える親友や家族やメンターがいるのは何より心強いものです。大切な人に安心を与えられるような、お互いを無条件に信じあえる関係を築き(育て)たいものですね。

2024.5.4(一生 怒り続けるのも自由)

心と脳に残るものにずっと苦しめられること…。それをいつか、それすら実はギフトだった!と気づくことができる人と、いつまでも自分の望みにばかり固執して苦しみ続ける人がいるのは何故でしょうか?

「多くの場合、心の傷と面と向かうのが怖いので、理性は他の者を悪くとらえようとするのです。自分がいけなかったのだろうか?…と僅かながらも自覚があればあるほど、他者を許せない!と思い込んで責めるため、結果的に自分の望みが叶わないという現実を招いています。

それでも、一生をどう過ごすかは各自の自由なのです。自分を顧みず、他者を責めて、家族が崩壊したままでも生きられるし、自分自身と向き合い、己の心を変える進化を遂げることで、今生で人の生を卒業する人々も多くいます。

いずれも、そのご本人の望む通りになっているのですから、あなたが気を揉む必要はありません。拘らずに受け容れたり流れを観察しながら、常に調和を計ってください。」

2024.5.3(源へ 還ろうとしないわけ)

遺されたご家族は、病で話せないまま亡くなったり、長い間疎遠だったまま亡くなったり、自ら死を選んで亡くなった方が成仏できますように、光に還って平和でありますように…と願って祈っていますが、誰より、ご自身の心の安寧を目指してほしいと思います。彼らの為に。

何故なら…この世にとどまるspiritがとても多いのです。今世での記憶を手放して、颯爽と心残りなく旅立つことができたらいいのですが、身体を離れてみて初めて、ご遺族に何か…強い怒りやさみしさや葛藤がある様子を知って、心配して観ていらっしゃる方が多いのです。傍にいることは未成仏でない限り、悪いことではありません。(未成仏な場合は感化されて、ネガティブに人や社会などを悪く思ってしまい、人間関係がこじれがちな場合が多いようです。)

本当に亡き方を想うなら、全身で喜びや幸せを感じること、そして「こんな幸せを感じることができるのは、きっとお陰様だね、ありがとう♡」と心から感謝できる自分になるのが一番なようです。心配や不安が無くなれば、彼らはどんどん軽くなっていけます。私達が心からではなく頭で感謝すべきと考えている場合は思いの波動が弱いので、彼らには本心でないことが伝わり、かえって心配してしまうことでしょう。毎日小さな望みでも叶えて、感謝しましょう!

2024.5.2(人とは違うところ)

50代で初めて一人暮らしをすることになった方から「料理ができないから、ほぼいつもお弁当…」と聞いて、食べたい料理をちゃちゃっと作れることも幸せなことなんだなぁと思いました。更に「どうやって料理を覚えたの?」と訊かれて「家の下宿業を中学の時から嫌々手伝っていたら何となくできるように…」と答えて、実はあんなに嫌だったことも思い出しました…

「ご自分では当たり前に出来ることが、実はとても恵まれたことであったり、才能であったり、恩恵に変化した苦労や努力や好奇心だったりするのです。それを日常の中で見つけられるように、人はそれぞれ持つ才能や興味のある対象が違うのです。人との違いを悲しむのではなく、差別することも卑下することもなく、楽しんで下さい。」

2024.5.1(病や老化は 誰もが通る道)

「まさか自分が病を患うとは思いもしなかった…ということがよく起こります。それには理由があり、自分は大丈夫だと思いたい願望と、悪い予測をたてたくない心理が働いています。それはつまり、不安になると(…でも自分は癌の家系ではないから大丈夫!)などと、それを頭の片隅にわざとよけておくという『そうなる欠片』を置くことによって生じるのです。

何事もそうなるかもしれないし、そうならないかもしれない、どちらにせよ何とかなるのだから、なるに任せる、或いは危険因子を取り除いた生活にシフトするということが、本来望ましいのです。病かどうかより、それを抱えながらも幸せを見つけ、感じて、楽しんで生きる方へ意識を向けることです。病や老化は誰もが通る道なのですから。」

2024.4.30(すべての生き物 みんながひとつの家族)

「苦痛や辛いことがないだけで幸せと感じられるのは、過去に苦痛を感じる体験があったからこそです。毎日つつがなく過ごせることが幸せと感じると同時に、辛い何もかもを乗り越えたおかげで自信を手にし、他や周りのおかげと感謝できるようになり、それが心/たましいに深く刻まれるのです。他の人々と協力し、共感し、お互いの幸せや心地よさを慮って暮らすことです。人のみならず、地球上のすべての生き物みんながひとつの家族と考えることが大切です」

2024.4.29(亡き父からの言葉)

今日は父の月命日だなぁと思いながら、録画したディズニー映画を見始めたら、突然泣けて見れなくなってしまいました…。子供の頃の(私はこの主人公そのものだ!でも現実には神様も魔法使いも、私を気にかけて、救ってくれる存在なんてどこにもいないじゃない!…)という強い思い/怒り/悲しみが不意に鮮明に甦ってしまったのです…。そこで父に話しかけたら

「確かに父さんが誤ったところもある…。あんまり嬉しそうについて歩くお前につい、母さんが帰ってくると嘘をついたことも、そうじゃないことがわかってからも、決して〇〇〇(実母)には逢わせないことが、お前の幸せだと思い込んでいたんだ。一言直接「逢いたいか?」と聞いてやればよかったな…と思うよ。

それでも、その後お前は苦しみながらも克服して〇〇〇をゆるし、俺をゆるし、〇〇とも仲良くして気にかけてくれて、本当に嬉しく思っている。いつも、どんなことも栄養にできるのがお前の強さと長所だ。俺は何もかも黙って(どうせ人にはわかってもらえまい…)と諦めたが、お前はその様々な別れと苦しさやさみしさや葛藤の全てを、人を励まし信じるために活かせるまでに成長した。見ていて誇らしいよ。

学業を修めた人や社会的に成功した人ももちろん素晴らしいだろうが、現実にはそれらを手にしたりどんなに学んだ人だって、かつての俺がそうだったように、死は無になることだ、無になるなんて…と、死を怖れているものだ。だが実際には無になるどころか延々と続いていく…。それを知り、それを理解した上でどのように生きよう?と考えて、辛くても、感じることを恐れずに試し続けるお前は頼もしい。きっとお前なら大丈夫だ。人とは少し違う生き方だとしても、年をとるほど死を恐れないのは難しい、のは確かなのだから。

人の為に、自分が納得できる生き方を貫くんだ。無いものではなく、目には見えなくても在るものに気づける、その最大の強みに意識を集中して頑張りなさい。縁あって出会うたくさんの人々にもそれを教えたり伝えたりして、喜びを与え共に癒されている姿は、私をも幸せにしてくれている。何度も泣いて、何度も立ち直って、笑って笑って生きるのが一番だ!」

2024.4.27(実は、聴くのはもう止めたいと思うことも…)

故人セッションをしている私を知って連絡をいただくと、まだ問い合わせだけなのに、亡き方は伝えてもらえるの?と私のところへ深夜に音や気配で訪れることがよくあります。昨年から自死された方や突然死された方のご遺族からのお問い合わせが続き、まだ成仏されていない(重い波動域の)執着を含む念…を感じるのは、心身共にしんどいな…彼らは眠らなくていいのだろうけれど私は辛いな…続けられるかな…と思うようになってきました。人は皆、聴こえるようになりたいと言うけれど、自分ひとりの様々な想いを感じるのにも精一杯なのに、spiritのそれらをも感じてしまうのは嬉しいことではないのに…、それを理解してもらえるわけでもありません。それでも、昨日受け取った〇〇さんの完全な慈愛の光のようなお心/想い/愛に触れることができると、こんなに美しく澄んだ愛の境地!そこへいつか至れるならば、やはり頑張って続けなければ…と思う自分もいます…。

「今までひとつ一つ、どうしても嫌なことは言葉にして伝えて改善されてきたように、いかようにもあなたは変えてゆくことができるのです。(いつでも見える人、いつでも聴こえる人にはなりたくない、許可した時だけにしてほしい!)という願いは届いています。恐れないで下さい。ただ、いること/存在に気づいてほしい思いはあなたも死後体験することでしょう。その時を迎える前に、どうか投げ出さずに、怯えることで引き寄せることもせずに、続けて差しあげてください。人々がそれをあなたが楽にしているようにしか見てくれなくとも、それでも多くの、とても多くの人生と、その生命の感動を感じることができるのだ!と自分自身を鼓舞するのです。あなたの心/想い/たましいは、それをしていくことにより清濁併せ吞み、より澄んでゆくのですから。」

2024.4.26(自分が発したものは、自分が受けとることになる)

「発しているあなたの強い思いは、あなた自身に全て返ってきます。あなたがとっている行動も、めぐり巡ってあなたに返ってきます。かと言って、恐れから行動を決めるのではなく、心/愛から行うことが大切です。

本当は誰もが愛されたいと願い、愛したいと願っているのですが、相手にあなたがこうであれば…と条件をつけたり、自分勝手に期待してその通りではない…と責めている場合があります。それは残念ながら愛ではありません。わたしたちがどんなことをするあなた方も、どんな時にも変わらず寄り添うように、自分の期待と違う相手をも受け容れ、その人の平安と安寧をどんな時にも変わらず願える自分になることです。

誰かをゆるしていない自分がいる限り、あなたもまた、ゆるされることはないのです。心からの笑顔には、思いがけないような笑顔が返ってくるように、現実はあなたが創り出しています。」

2024.4.25(体内の水分/氣流を澄ませる)

以前は汗をかいたりトイレが近くなるのが嫌で水分を摂るのを控えていましたが、湧水をたくさん飲むようになってから、皮膚の調子がよくなった気がします。さらにこの身体の中の水分に、心地いい波動/振動を与えることが大切なように感じています。

「地球上の生物は、水によって生かされている、と言っても過言ではないでしょう。摂取するその水が身体に合うこと、考え方や感じ方を含む念の全てが汚れなきものであることも大切です。あなたの中を脈々と流れる血流という水分をなるべく澄んだものにし、同じく、代々脈々と流れている氣流も意識して、澱ませず、塞き止めず、愛が溢れるようなイメージで、その流れにあなたの誠実な愛の想いを乗せて暮らしていくことです。」

2024.4.24(毎日、毎時間、毎分、毎秒がギフト)

「毎日、毎時間、毎分、毎秒があなたへのギフトです。これからもっと素晴らしい年に、日々になっていきます。思い切り楽しみ味わって、感動を分かち合って、たくさんの方々と幸せで在ってください。見えない皆がそれを望み、地上/地球ではそれが今大切なエネルギーシフトなのです。星々の仲間皆も見守っています。」

2024.4.23(ある講習会の最中に 2023.2)

「今聞いている話のようなこと、君にもできるよ!その時には訳が分からなくても、やってみたら後で意味や意義がわかったこと、過去にもあったでしょう?今までは利益を得るために仕事を選択してきただろうけど、これからは自分を与えるために、自分ができることをしていくことが大切だよ。人生はあっという間だから、必ず意識して欲しいのは『自分だからこそできること』を大切にして欲しいんだ。一人ひとりが、歌に、絵に、理論に、科学に、子育てに、料理に、癒しに、自然保護に、動物愛護に…etc.に(真心/愛を込めて)尽くすことで、素晴らしい地球になっていくんだよ。

日記をしばらく書いていないね。他へ分け与えようとするためではなく、過去を見るためでもなく、今日、今、感じる僕たちからの言葉を受け取る楽しさを日々体験してね。感じることや感動すること以上に大切な体験、君たちが光り輝く体験はないんだから。所有できないものこそ価値があるし、それ(感性)はすでに一人ひとりの中に在るんだよ。だから、諦めないで伝え続けてね。spiritも精霊たちも僕たちも伝えたいことがたくさんあるけれど、目的はただ一つだよ。愛として生きる歓び/喜びを味わって欲しいんだ。その光の美しさといったら最高だよ!いつか、君にもそれが見える時が来る。今はそれを体感してみてね!」

2024.4.22(目に見えなくても、共にいらっしゃいます)

昨日は『がん患者の会 一歩一歩』のお話会に参加しました。その時に頂いた言葉です。

「わたしたちはここにいます。あなた方と共に、いつも傍にいて 観ています。亡くなった方々も ここにいます。神を信じるかどうかではありません。信じようと信じまいと、源からの存在たちは耳を澄ませて聴いています。どのように物事を捉えているだろうか、わたしたちからの愛は届いているだろうか、どこにでもこの愛を見つけられるようになっただろうかと思いながら、人々の心/たましいの進化/成長を楽しみにしています。あなた方の成長はわたしたちの喜びです。いつも皆さんの幸せを願って観ているわたしたちを、意識しても意識しなくても構いません。ただ、日々 心地よく暮らしてください。」

実はこの会はがんサバイバーだけでなく、がんによって大切な方を亡くされたご遺族も参加されています。今日は何故spiritではない感じの口調なのかなぁ…と思いながら書いていたら、亡くなった方の中に洗礼を受けた方がいらしたようでした…。

私達は肉体を離れても、愛する人々の傍に来ることが可能で、(気付いてもらえても もらえなくても)傍で見つめることができるようです。ちなみに亡き方々は、自分を想いながらお礼を言われるとそれはそれは嬉しいようです。感謝されるということは、自分の存在や想いや愛を認めてくれている!と 嬉しいのです。(どんなに囁き続けても 働きかけても 全く気づいてもらえないなんて どんなにさみしいことでしょうか…)ですから あれをお願い…これをお願い…ではなく、あれもありがとう♡これもありがとう♡と伝えましょう!亡くなっても愛は失せないし、彼らは私達のご縁を繋げてくれているんです。お話会でも改めて、場をホールドしてくれている目に見えない方々に感謝しました。

2024.4.21(辛い時こそ期待して!)

「君たちは満ち足りた光の中から、驚くような体験を望んで、地上でそれを体験しているんだよ。今の自分の人生という舞台を、一人ひとりみんなが楽しんでいる。多くはまるで仕方なく…のような顔をして生きて、幸せより苦悩の方を選んで味わっているけれど、こんなの嫌だ!っていう体験ができてこそのコントラストとスリルを楽しんでいるんだ。だからいい?辛い時こそ、もう駄目だ、終わりだ…なんて絶望せずに、これは舞台の序章だ!、これからいったいどんな展開になるんだろう?と期待して、笑ってその演出を楽しんで観ててね。」

2024.4.20(誰からの言葉なのかを知りたい方へ。再掲)

ここに日々掲載しているような言葉について、カウンセリングや電話確認の時などに、それは誰からの言葉ですか?と訊ねられることがあります。それは(実はかつての私自身もそうでしたが)誰が傍にいてくれているのだろう?その存在は信じるに値する存在なのだろうか?という判断を、脳/思考/EGOがしたいから出てくる質問のようです。昨年「頂いた言葉はどなたから、と、お伝えしたらいいのでしょうか?」と質問したら

「それは、誰が自分を見ているのだろう?という不安からのご質問ですね。肉体的に、その方とあなたが離れていても、spiritがいること、ハイヤーセルフ同士が繋がって答えを導き出したり、伝えあってあなたに知らせたりする場合があります。今回は彼女のハイヤーセルフからの言葉ですが、人々はたくさんの存在、spirit、精霊、妖精などと出会って引き合い、傍に寄り添っている場合があります。それはご本人が歩む道すがら、好まれて引き寄せることもあるのです。旅をたくさんした方や、たくさんの人々と接するような方は、やはり多くの存在と共にいることが多いものです。でも、誰が言うかより、ご本人の心に響くかどうかが何より大切なことです。実はその言葉が届くかどうかすら、ご本人の希望通りになっているのですから、あなたは何一つ期待せず、心配もせず、平和と安寧を祈りなさい。」

脳/思考/EGOを介すると『何を言われたか』より(〇〇が傍で見ているならこうしたほうがいいのでは?…)という思考による決定が始まってしまいます。 誰かはわからなくても、自分の幸せを願って見つめてくれている存在がいる!とただただ素直に感謝の想いで居続けたら、いつかそれが誰かがわかる時が、きっと来ます。

私の場合は、20年ほど前だったでしょうか。今は亡きウィリアム・レーネンさんに「今、君のそばには多くのspiritと精霊、あ!宇宙人までいるよ!」と言われてから、随分気にしてしまって、心が感じるよりも、どの行動が正解なのだろう?と思考まみれになってしまいました。そのため、もう色々あって…行き詰まったり何度も病気になって、何がなんだかも、誰なのかも全く自分には見えないけれど、それでも確かに愛だけの言葉をいただけるのは嬉しくてなんて有難い!と全幅の信頼を寄せて、観念して、がんの摘出手術を受けました。

すると、6時間半の手術が終わって麻酔も切れて目覚めた夜中に(病院なので未成仏霊が来たらどうしよう…と怯えていたら)そのたくさんの存在たちが光り輝いて現れてくれて仰天しました。そして、私の心の安寧と快癒を願って微笑んで見つめてくれていることを全身全霊で感じて感激し大泣きしました…。ですから思考型の方は特に、誰なのかを知らない方がいい場合もあります。自分に準備ができた時、知らされるのだろうと思います。

2024.4.19(毎日わたしたちは話しかけています)

お別れではなく、祝福の言葉をお渡ししたこと、とても喜ばれました。これからもどうか言葉を下さい。

「あなたさえその気になれば、いつでもわたしたちの言葉を受けとることができます。人は信じるものより、見えるものへ、つい神経や視点が向いてしまいがちです。それでも今日、長い間戸惑い困っている方と自身のために、聴こうとしてくれたことは大変喜ばしいことです。その方々一人ひとりにも、日々見つめ幸せを願っている多くの存在がいらっしゃるということを理解してもらうためにも、日々綴って伝えていってください。」

2024.4.18(諦めるということ)

もう治ることはないと病(死)の宣告をされても必死で抵抗して闘っている人に、いったいどんな言葉をかけたらいいのだろう…そんなことを考えたことはありますか?私は2回あります。でも結局それは難しすぎて、私の浅い知恵や拙い体験から出てくることはなく、目に見えない存在たちから言葉を頂いて、お伝えしました。

その言葉をお伝えした時に起こったことが『諦める』ということでした。それは投げやりになってもうどうでもいい…という諦めではなく、現実を明らかに見定めてそのまま(病と死)を受け容れる『諦観』です。「いつお迎えが来てもいい、お任せしよう。あぁ、今日を生かされた、有難い。来てもらって会えて嬉しい、ありがとう。」と、一番辛いはずのご本人が愛と感謝だけを体現する在り方に、周りの皆の心を揺さぶりました。

諦観は容易いことではないと思います。それでも、受容して覚悟を決めた先に、周りにどう生きるかの教えと励ましを遺してくれて、出来る時にしたいことを精一杯悔いなくすることの大切さ、それらを知らしめようとしてくれたのだろうか…と思うことがあるのです。誰の、どんな死にも、大切な学びと愛があると私は思います。

2024.4.17(何故あんなにいい人がこんなに早く?)

何故こんないい人が、こんなに早く逝かなければならないの…?と憤りを感じることがあります。明るい努力家で誰からも好かれ、ご家族だけでなく、たくさんの友人や社会にも影響力の大きい方へ頂いた言葉の一節です…「命は死によって終わるのではありません。本人すら全く意図せずとも、次の生へと力を明け渡して、続いてゆくのです。」

この『力を明け渡し…』という意味を考え、納得することが、最近増えました。その方の、そのあまりに早い死が、亡くなり方が、あるいは生き様が、遺された私達の心の奥深く/魂に深く刻まれて、多くの人に愛に従って生きる!と決意させてたのだ!、大きな影響を与え、皆の中で共に生き続けている!と見せつけられるのです。悲しみすら…いつか力になるのですね。

2024.4.16(眠れない時には)

「眠れない時には、眠れない!とイライラせず、眠くなるまで好きなことをすることです。」

2024.4.15(自分に優しくする時、大切なこと)

「自分に優しくすることは大切です。その内容は、自分を甘やかすにせよ、歓ばせるにせよ、心がけてほしいことがあります。それは、あなたを見つめている目に見えない存在たちが、きっと微笑ましく思って見つめてくれているだろうな、と、思えるかどうかを意識して下さい。

つまり『自分に優しく』を言い訳にするのではなく、心地よい自分で、周りに感謝が湧くような心情のことだけを喜んでするのです。あなたの喜びや悲しみを、我がことのように感じながら見つめ、応援している存在たちを受け容れて、彼らと共に喜びに生きて下さい」

2024.4.13(誘われた旅行の行き先が怖くて断った時に)

八甲田山や会津若松、長崎や広島の原爆ドームでも、心身の重苦しさを感じた私は、行って見たい世界遺産などがあっても、怖いから無理だなぁ…と諦め、全て断っていました。すると

「いつまでも恐れていてはどこへも行けません。かつては確かに心の痛み、苦しみ、辛さ、土地や建物が記憶しているそれらと共振してしまい、辛い思いばかりが残ったかもしれませんが、それを避けるためにどこへも行けない、行かないと決めることは早計なことです。

まして今のあなたなら(哀しい記憶のみならず)かつてのその場での喜びや平和や幸せをも感じることができるでしょう。何故なら光の粒子となった方々の想いは、決して哀しみだけではないこと、遺した者たちへの愛と慈しみも知ったあなたは、それらも感じることができるところまできました。怖がらずに色々な所へ行ってみてください。行く先々で、ご自身の成長をもきっと感じられることでしょう。心安らぐ友と共に。」

2024.4.12(音は心を映しだす)

音で心が掻き乱されることも、穏やかに落ち着くこともある。音にも色のような効果(波長だろうか)がある。音に怒りをのせることも、愛をのせることもできる。心に響く美しい旋律は自分の波動を整えたり、自分の軸を中心に戻したりしてくれる。私達の耳はいつもどんな音をも聞いている。自分がどんな想いをのせた言葉を呟いているか…一人の時こそ気をつけたい。

2024.4.11(怒りについて)

「怒りを吐き出してよく見つめてみなさい。相手が〇〇が!!と怒っているようですが、よくよく見てみると、あなた自身がその時(私が我慢すれば…)とか、その相手に理解してもらう努力を後回しにした故にそうなったのですから、怒りはご自分の行動故のものではないでしょうか?

一方で、あなたも怒っていいのです。悔しがったり、責めてもいいのです。ただし、誰か第三者に悪口や愚痴として話すことは無意味であり、双方ともに不快になってしまうのでいけません。あくまで当のご本人、つまり自分自身と向き合って、嫌だったこと、悲しかったこと、悔しかったこと、許せなかったこと‥その不快な気持ちを全部吐き(書き)出して、できれば炎で焼いてしまうことです。鬼のような目つきが、柔らかく変わっていけることでしょう。」

2024.4.10(一番大切なこと)

食べたい物を買うことができて、作ることができて、食べることができて、行きたい所へ行けて、運転して車で行くこともできて、楽しい職場があって、会話もできて、身体も病はあれど痛みは少なく、とても幸せです。「あとはご自分がどう在りたいか、を、決めましょう!」

2024.4.9(心身両方に筋肉をつける)

「今まで、あなたは心/精神に強い筋力をつけてきたように、身体にも筋力がつくようなことを大切に行って続けてください。毎日僅かずつでいいのです。わたしたちからの言葉を書き留めるのと同じ程度の時を、健康のために陽を浴びながら行ってください。」

2024.4.8(亡くなってからの希望)

亡くなった後しばらく、自分の死を嘆くご家族の傍にいらっしゃるspiritは多くいらっしゃいます。先日、亡くなって3年ほどのご家族の家で、故人の想い/願いを感じました。たくさん飾っている写真の中の1枚、亡くなる少し前の写真を飾るのを止めて欲しい…というご希望でした。ご家族に話すと、すぐその写真を外してくれました。

生前の想いを伝える時、稀に姿を感じることがありますが、亡き方はおおむね、自分が大好きだった頃の自分(壮年期とか、元気だった頃の姿)で現れます。彼女はご家族に、亡くなる直前の頃…病でやつれた自分の写真を見ては、何かもっと出来たのでは…と自分を責めたり、悲しい気持ちになったりするのを止めて欲しかったのです。自分を思い出して悲しむのではなく、微笑んでくれることを、彼らはいつも、どんな時も願っていらっしゃいます。

2024.4.7(自分も人も不幸と決めつけない)

「愛でないように見える言葉や行動や態度にも、その奥に愛や成長の芽を感じられる自分になるよう目指して下さい。誰もがその人の歩幅のステップを踏むのですから、任せることが大切です。きっと、あれはあれで本人にとって最高の体験なのだろう、と信じることです。」

2024.4.5(ただ違いを受け容れる)

「他の人がどう思うかは、特別価値があるわけではないことを知ることです。誰が何をどう思うことも自由なのです。違う考えがあるということは自己を楽しむため、対比により、お互いの違いを受け容れるためにあるのです。本当にはそこに区別など存在しないのですが、違う体験を増やせるように、なのです。もっとただ(違いを)受容することを知ってください。」

2024.4.4(次の芽吹きの時)

「さぁ、次のレベルのエネルギーがまた降り注いでいます。何を望みますか?成功でも健康でも長生きでも、強く感じたものがその手に収まります。願うのではなく、感じることです。」

2024.4.3(わんぱく不動を見倣う)

『わんぱく不動はいつも遊戯三昧。何をしていても楽しいんです。彼の周りも愉快な仲間ばかり。あなたも、もっと楽しく自由に遊ぶことを学んで下さい。くそ真面目なあなたは、自分で自分の寿命を縮めています。不真面目なあなたは、あの世で一からやり直しです。非真面目なあなたこそ、人生を謳歌しています。わんぱく万歳!』わんぱく不動の説明文より

2024.4.2.(満足して生きるために)

「満足して生きるためには、①身体のためには、適切な栄養のみならず、睡眠の質の向上と運動が必要である。②理性/脳のためには、新しいことを学ぶ楽しさと、その習慣化が重要である。③心/魂のためにはインプットしたことはアウトプットすること、感動を分かち合うことが大切だ。そして、これから楽しみなことを、ここで今既に楽しむことだ。」

2024.4.1(私達は見えない存在に感化されて生きている)

「思考や記憶によって考えてピン!ときて言葉になる時と、ふと口をついて出た言葉に自分でおぉ!そんなことを自分は思ってたんだ?と驚く時があるように、実は自己で認識していない『本質の自分』や『目に見えない存在』にも、人は感化されながら暮らしているものです。

ただ周りには肉体が無い存在も多く、何かを伝えたい存在や救われたいと願う存在にとって、この者がダメ/無理なら次の誰かへ…と、移ろいでゆく存在がいるのも確かです。佳いことが起きているうちはお陰様やお導きと感謝しているうちはいいのですが、嫌なことや希望と違うことが起こった場合に、側にいるのは悪者なのではないか、そのせいなのではないか…と疑いや責任転嫁が為されることは、とても残念なことです。何故ならば、その恐れや疑いを持つと同時にその波動域まで自らが低下し、それらと同期して残念な事を引き寄せてしまう故です。

嬉しいことはお陰様と感謝し、残念なことは自己の成長のために起きたのだろう…と謙虚な気持ちで在ること、この最悪に思える事態がこの先どんな展開になるのだろう?と、自分の将来に好奇心や希望や信頼を持って、人生を大局的に眺めることが最も有効な手段です。」

2024.3.31(眠れないことを嘆かないで)

「眠れない!と身体を責めないで下さい。食することで身体を痛めつけるのもよくありません。あなた方の身体コードに有益な感度の良いアンテナのようなものを取り付けました。それは、わたしたちからのサインをすぐ受けとり動けるという利点があります。一方で、今までの自分は〇〇時間眠らなければならない、〇食食べた方がいい、〇〇すべき、といういう古い考え方や慣習からは外れていく必要があります。老いと考えるのではなく、わたしたちとのコミュニケーションをもっとうまく早く受信することができるようになったのだな、と喜んでください。これからその変化を少しずつ嬉しく好ましく思える出来事も起こります。あなた方はもう次のフェーズに羽ばたいているのですよ。楽しんで下さい!」

2024.3.30(今日を精一杯楽しむ)

私は楽しむことが苦手です。人混みが苦手、外出が苦手、強い日差しや暑さも苦手、そもそも人と話すことも苦手…楽しむために計画を立てて、仕事をしている方々のようになれません…。とりあえず今日、しなければならないことを楽しむので精一杯です。

「話すことが苦手なのは、完璧に伝わらなければダメだという認識があるからです。テレパシーなら共有・共感できるので可能ですが、言葉にする時、既に本意との差が生まれるのですから、聞き手/受け手のバックグラウンド次第で、真逆な意味にすらなりかねないのです。諦めずに向上し進化を目指すことです。人として生まれたからには、人としての幸せも求めることです。何一つ、諦めるべきではありません。来年来月することを考えて今日を終えるのではなく、今日することのすべてを精一杯頑張って楽しんで下さい。それで合っているのです。」

2024.3.29(たましいのわたしたち)

「『自分』を意識することと、『わたしたち』を意識することは違います。思考が想う自分とは、ちっぽけであることが前提であるが故です。たましいとしてのあなたはまだまだ先が続くのです。今生で、もう諦めたかのような思いは拭い去ることです。楽しくて嬉しくて泣いてばかり…と、感謝の想いを綴っている方が、あなたの心の向かう拠り所であり手本なのです。たくさんの人、たくさんの違う生き方の中で、どう在りたいかは選んで楽しめる特権なのですから、そうなるために、できることを探すことです。」

2024.3.27(すぐに行動してみる)

ふと感じて、検査してみたら、ポリープが見つかってすぐ切除できました。お知らせくださったのでしょうか、お導き、ありがとうございます。

「閃いた時に浮かんだことをすぐ行動してみること、純粋に真っ直ぐ向かうこと、疑わないこと、否定しないこと、信じること。いつも心をクリアにしていることが大切です。」

2024.3.26(起こる陰陽は、調和/バランスの為)

「陰陽とは善と悪ではない。調和を保つための理なのである。正誤で見切りをつけるのではなく、そこに在る教えを心を澄まして受けとることだ。多くの善を積み、心を曇らせず、一心に他の為、世の為と頑張っても、受けとる/見ている者の中に羨望や妬みがあり、斜め目に見る者が増えることにより、その残念な思い/邪の念は陰を生む。それはその喜びの大きさに比例した大きさの悲しみや痛みへと型を成す。

その型や刑に囚われて悲嘆するのではなく、より陽のあたる方へと氣を集中させることである。調和/バランスを保つために起こった過去に囚われてはならない。前科がどれほどあろうとなかろうと、たましいの進化・拡大は止められはしない!と諦めて(明らかに観て)受容することが大事である。大きな過ちほど、進化拡大が大きく成されることを知ることだ。」

2024.3.25(失敗続きだった時に)

ささいなことですが、勤務先で失敗が続いてショックを受けていた時に

「心の底で自分を罰し責めているので、人のアラも気になるし、自分もまた責を負うようなことが起こるのです。行動の根本の想いを愛と感謝の想いで行動すること、早く早くと焦らずに、小さなことにも精一杯真心を込めて的確にし終わる方を目指すこと、自分で自分を責めるのを止めることです。人の言葉の意味や意図を深く追求するより、できることを楽しみ、ゆるされたことを喜ぶことです。」

2024.3.24(現実の種)

急に出かける予定になったり、パートが早まったり、妙なほど予定がびっしり埋まるのは何故でしょうか?

「その予定を望んだのはあなたです。充実を願った故に今それが起こっています。たくさんの人々に出会い、嬉し涙を流す人生にシフトする時が来ました。迷うことはしなくていいことです。ついyesと言ってしまったこと、身体が勝手に動いたり止まったりする時にも素直に従えば、全てが喜びに満ちて起こるのです。あなたの強い情動こそが、その現実の種なのです。」

2024.3.23(植物を師と仰ぎ、全ての生き物と友となる)

小さな山の登山に行く前日に頂いた言葉

「大自然に抱かれ、大地と戯れ、植物を師と仰ぎ、全ての生き物と友となって楽しんできなさい。どんな時も、恐れずに信じて畏敬の念を持つことによって、逆にバリア/盾ができて安全でいられるのです。恐れを持たなくなったことから、ひとつずつ解決している!と認めて、次へ、その先へ、と、歩を進めることです。」

2024.3.21(これからどう生きるか)

「愛に生きた!と言えますか?愛を求め、愛を感じ、愛を受け取り、愛を与えた、と、言い切れますか?それなら、これからすることは決まっているはずです。したくはないことを悠長にしているほど、人生/時間は長くないのですよ。」

2024.3.20(最新の自分)

「今日、今、最新の自分の想いに焦点をあてることです。今、興味が湧いたこと、今、思いついたこと、それを見逃さずにしてみることです。したい時こそが、一番必要で感動できる時なのですから。」

子供の頃、大人になれば悩みはなくなるのではと期待したのにあっという間に大人の年になり、その後どんなに年をとっても、悩み/煩悩は無くなることはないようです。そのうちに足腰が衰えたり、病気になったり、老化が行動範囲を狭める時もくることでしょう。今日がカレンダーでどんな日だから、ではなく、今日が自分の人生で一番若い日だと意識して、毎日、今この瞬間の自分の想いに気づいて、願いを叶えながら暮らしていきたいですね。

2024.3.19(問題も、蓋をした痛みに気づくためのギフト)

「問題も全て大切な学びのために起こっています。どうしてそう思うのか、そのように感じるのか、自分の心に聴いて、過去の記憶を清算し、握りしめている感情を手放すことです。」

もしこの出来事が自分ではなく(尊敬する)〇〇さんに起こっても、同じように気に留めるだろうか?同じくらい気に病むだろうか?そう考えてみると、過去の傷に気づけるようです。

2024.3.21(春分の日に頂いた言葉)

春分の日に寄せて

頂いた言葉のシェアです

2024.3.20

久しぶりに体調を崩した方は『そのせいでできなかったこと』に対する自分の想いに気づけたでしょうか。

やりたいこと、自分がすべきことでできること、させてもらえて有難いこと…という思いがありながらも、どこかマンネリになっていた事柄への想いを見直す時だったのです。

少しの間やらねば…から解放された思いもあったことだろうと思いますが、その事柄に愛や使命を込めるだけでなく、それを行えることが即ち祝福であると気づけたことでしょう。

日本に生まれたことの喜びとその役割に自身でワクワクするような名前をつけて、意図し意識して、喜びと共にそれを行ってください。

これからは昨今唱われてきた愛を軸に生きる、事を成す、創造する、そのことに新たな大志が加わります。

それは『慈しみ』です。

古来より日本人の心に培われてきたにも関わらず、一部欠けたようになっていた『慈しみの心』を持って生きてください。

それは他の哀れな誰かを救うということでも、憐れみを持つということでもありません。

あなた自身を含めた全ての生あるもの(人/自然/地球)を愛しみ、尊重し、大切に想う心を向けるということです。

春のない国があります。冬のない国もあります。四季を通じて感じるもの、見える自然の営みだけでなく、目に見えない土の中で育まれ蓄えられている力を知り、それを基に手を携え励まし合って、成り立つ生命の神秘と奇蹟に歓喜して生きてください。

その瞳に慈しみの心を灯して(わたしたちと共に在る)今を感じ、共に感動を分かち合って暮らしてください。

光だけでなく音にも色にも、時には風や場にも、純粋なそれ(慈愛)が佇んでいることに気づける自己の繊細さを心から歓ぶ/喜ぶことです。

…………………

大木を近くで見ると一部分は枯れて穴が空き、小さな侵食者たち(昆虫や寄生植物や菌類)に身を挺していることが多いです。もしかしたらそれもきっと、慈しみなのでしょう。

人としての私達は、輝かしい業績はなくても『決してしたくてしたわけでない自分の情けない大失敗』こそが、時にこれからを生きる誰かの役に立つ場合があります。

それを体験できた!と感謝するspiritたちと、私達の悲喜こもごもの体験の感動の分かち合いを嬉しそうに見つめている輝く存在たちから、春分の日のお昼に、この言葉と金色の祝福の光が降り注がれている気がして、有難く受けとりました。

2024.3.18(願いが叶って今がある)

「強く求めたことは既に与えられています。あなただけでなく、全ての人の心底/たましいからの願いは必ず、です。頭で考えて遠慮したり、罪悪感を持ったり、叶うかどうか疑いを持たないことです。純粋に望んだこと、繰り返し思ったことは、全て与えられて今があるのです。また更に新しい扉が開きます。楽しみにしていなさい。皆で応援してながら見ています。」

2024.3.17(相手に何をするか)

〇〇さんに、いったい何をしてあげたらいいのでしょうか?

「自分が心から欲しいものを与えなさい。あなたがされて嬉しいことをするのです。」

2024.3.16(楽しませようと無理せず、自分が楽しむ)

お天気がよくなりました!〇〇〇さんと出掛けるのが楽しみで、いつもより早く目が覚めました。カラフルな色の服を着て楽しんできたいと思います!

「そのようにワクワクして毎日を過ごして下さい。会う人々にそう感じ、また、人々にもそう感じさせる自分であるよう、自分自身が楽しむことです。人を楽しませなくては…と、無理しなくていいのです。ただ心から純粋にあなたに会えて嬉しい!という想いで、相手を大切な唯一の人として見つめることです。求めていることをするのです。」

2024.3.14(死別の哀しみを力にする)

「死を知り、死後を知ることで、それを恐れずに、今を幸せに生きることができます。すべきことをするために、死別の哀しみを乗り越える必要がある方々がいます。それは、愛を伝えて生きることです。亡くなっても(身体が無くなっても)愛は消えないし、寄り添い続けるものだと知り、それを伝えてゆく、と決めてきた方々です。」

2024.3.12(意志の力)

「意志の力を侮ってはならない。強い意志、意識と志をはっきりさせ覚悟を持ち、それが明確ならば、その目的は達せられる流れに乗る。流れは全方向に向かっている。」

2024.3.11( 311 に亡くなったある spirit より)

亡き方々の無念の思いは、世界中の方々の祈りと想いで少しずつ変化してきているようです。本日 3月11日   14時50分 自動書記にて

「わたしたちの命は繋がっています。亡き直後の悲しみは(何故 我が?)(我が?)(我が?)と自分一人の不幸!と各々思ったものですが、ふと顔をあげて辺りを見回してみると、なんと同じような境遇の方の多いことか…

中にはまるで 海の水そのものになってしまったような方までいらっしゃることに 当初 慄(おのの)きました。それは自分の死を悲しむ者など誰もいない…と諦めた人々のたましいです…。

でも時を経て、世界中から想いを寄せてくださる人々が(言葉はわからずとも)その悼む気持ちと、誰ひとり取りこぼさずに皆の心/魂の安寧を願ってくれている大勢の祈りのおかげで、今は成すべきことのための死でもあったように感じてもいます…

死なくしては理解し得ないこと…。はるか古(いにしえ)よりずっとあったこと、その中のひとつの警鐘であり…、愛を知り、愛で繋がる尊さを身に沁みてわかるために大切なこと だったのかもしれない  と…。

あなた方の誰もが日常の生活で精一杯だとしても、震災や災害や戦争などで死に至った方々がどこの国のどんな人々であっても、全員が皆、あなたに、何が大切なのか、今どう生きて欲しいかを知らしめてくれているのだ  と、知ってください。

それをしっかりと受けとり、あなたとあなたの周りに、今この瞬間も、愛の想いが交わされることを切に願います。

命の源へと還るには、まだ遺した人々への思いが断ち切れずに迷っているたましいも在ります。そのためその思いと繋がって哀しみにくれてしまう方々もたくさんいることでしょう…

それでもどうか、きっと、温かい小さな思い出を手にとって大切に眺めながら、空を見上げ、明るく生きていけるような言葉や行動を心がける皆さんでいてください。くれぐれもどうかよろしくお願いいたします。」

あの311の翌々日に、空から現地へ視察に行って帰ってきたパイロットさんの後ろから(何で私が!)(何で私が?)がこだまして聴こえて戦慄を覚えたのが、昨日のことのようです…。その時の『思い/無念』が『想い/慈愛』にやっと変化してきたのだな…と、今年初めて思えたので、心からご冥福を祈る気持ちを込めてシェアします。

突然の死を受容して源へ還ることができるくらい軽くなれる(哀しみが癒されて波動があがる)まで、かなり時間がかかること やはり あるようです。生きている私達が『お陰様で♡』『ありがとうございます♡』と心から感謝して前向きに生きることは 極めて大切なことだと思います。無念な方々も、自分を想ってくれる人々の想いで癒されて、光/源へ還っていけるそうです。

2024.3.11(3.11に寄せて ガイドより)

「人々が亡き方々を想って祈り、心を寄せて生きることが、亡き方々の心/たましいの痛みを癒している、という自覚を持って日々暮らして欲しいと思います。まだ生きたかった人々の分まで、眠ること、食べること、笑うこと、話すこと、泣くこと、怒ることも含めて、この世に在ることを自覚し、感じられる身体が在ることを感謝して生きてください。語り合うこと、認め合うことが今とても大切です。一人ひとりのその傍らに、たくさんの目に見えない存在が「笑って!笑って!笑って!」と願いながら寄り添っていることを忘れないで下さい。」

2024.3.9(いつもささやき続けている)

お導きについてのつぶやき。

目に見えない存在たちは、時々私達の傍にいて「そこへ行くといいよ」「その人に会ってごらん」「この人(魂の光)と繋がった方がいい」「そっちは危ないよ」等と一生懸命サインを出したり、ささやいてくれたりしています。でも私達は常に考え事をしながら正しい方を求め、巷の情報に頼るので、逆に誤ることが多いようです。私も普段は、普通に頭で考えながら暮らしているので過ちが多いです…(笑)

でも対面セッションの日は「今日は素直に受けとります」と宣言して全身を澄ますので、ご相談者さまと話している最中や運転している時でも突然「ここへ寄って!」「こっち!」と聴こえてきます。頭では(予定外だなぁ…)と思うのですが、行ってみると「子供の頃を思い出しました。」「ここ来てみたかったんです!」「思い出の場所です」等と言われて驚くのです。

日頃からきっと、誰もにそのような働きが起こっているのだろうと私は思います。それを受けとることが上手になると『運がいい人』になれて、それを頂いている♡という自覚を持って素直に彼ら(仏様や神様や様々な見えない存在たち)に感謝を伝えると、ますます運が良くなっていくような気がします。彼らからの『お導き』はいたるところに、あまねく在ります。

2024.3.7(自分のために地球で心がけること③)

「ご自分のためのミッションを三つに分けて考えるといいでしょう。1地に生きる身体のために適度に身体を鍛えること。2社会に生きる理性(思考/脳)のために知的好奇心を満たすこと。3宇宙/地球に生きる感性(心/たましい)のために感情や感動を歓喜で満たすこと。その観点から目標をたて、日々努め、充実した365日を楽しんで生きて下さい。」

20243.6(愛を伝えたくて地球に生まれてきた仲間へ②)

「ただ、死という旅立ちの前に、それを知る必要のある人々がいます。生涯で出会う人の数はおよそ2万4千人。その人々へ、自身の生き方で、在り方で愛を伝えたい!と願った方々が、その使命を果たす生き方をするために(life change するために)起こった出来事や、死別や離婚や病そのものに悲しみ、立ち上がれないでいます。

そんな悲しい別れの体験をするほど愛を伝えたい!と目標に据えた、星々から訪れた仲間たち、その人々へ伝えてほしいのです。この地上での生の儚さと素晴らしさをよく味わい、大昔からの記憶を塗り替えて、軽くなっていく(波動/周波数をあげる)ように!と。」

2024.3.5(死という旅立ちについて①)

「否定されても、反発されても、信じてもらえなくても、何の問題もないことを肝に銘じて、伝えていってください。その時が来たら、いずれ皆 知るのですから。」

2024.3.4(因果応報/カルマ)

本物とか偽物とかDSとか…、区別や判断や糾弾などを目や耳にすると心がザワザワします。それは正しさだけでなく、実は煽っていることになるのでは…?と…

「本物はこうであり、偽物はこうであるという形/理想、つまり理性や思考が想像していた姿であるか否かということであったり、期待した何かが得られなかった落胆から、人への責めが始まります。その考えを受けとるか否かも、本人次第で選べる自由な人生なのですから、それぞれを変えようとしなくていいのです。人を責めたり糾弾した者は責めを負い、人に感謝する者は尊敬されるのもまた、因果応報/カルマとして自らにかかってきます。自分自身の生き方、考え方の学びとして有難く眺め、固執も同調もせず、水に流すことです。」

2024.3.3(雛祭りに寄せて)

初めて娘のためにお雛様を購入する時や飾った時の喜びは、自分がしてもらえなかった時代の方々は特に、幸せになって欲しい祈りとで、感慨深いようです。亡きご両親やご祖父母の皆様が初めて私達という子供や孫を抱いた時、どんな想いだっただろうか…と想いを馳せてみましょう。古来からの習わしにしは敬意を持ってそれを続けてきた想いを引き継ぐ、あるいはこれからしていく、あるいは昔してもらえなかった小さな傷ついている自分を癒すことが、今の私達にできます。愛を祈る雛祭りの今日、自分への愛と亡き方々への感謝を感じて生きましょう。

2024.3.2(何故ストレスがかかるかのひとつの原因)

「気持ちよく気分よく志を持って働く(傍/はたを楽にする)こと、喜ばれることは、とても大切です。しかしあとほんの少し、まだあれもダメ、これもまだまだ…と自分を評価して点を低くつけずに、ゆるい心持ちを持っている人々と楽に、自分を痛めつけずに働くことです。自分は違う!自分だけはきちんと!そんな気張りを外して、身体に鞭打つのを止め、ちょうどよい力が出せるようにするのです。燃え尽きないよう、自分を評価し力むのを止めることです。」

2024.3.1(既存の決まり事すら、違う視座/視点で見る)

「そこには、わたしたちが送ったものから作られた幾多の模様がある。時にそれ(神紋)の向きを変えて見よ。(これからはそのような視座の変換が柔軟にできることが必要不可欠である)」

2024.2.29(つい食べ過ぎてしまう時の身体からの訴え)

「身体は正直です。欲するまま行動しているつもりで、実は脳のストレス物質や、これだけ頑張ったのだから今日くらい…と思考で欲してそれを口にする、などが起こっています。つまり、それほど実は無理をしているということに気づいて!と、身体は訴えているのです。」

2024.2.28(言葉や行動の奥にある想いに気づく)

私が書いた「心を澄まして」を読んで何を感じたかを、一番聞きたかった家族の一人の反応にがっかりした時に亡き父からもらった言葉

「それを仕事としてやっていくことを、どうかと思って(心配して)いるだけだ。やりたいことなら仕方がないし、他の人がそう簡単にできることじゃないこともわかっているからな。ただ、そろそろ身体がいう事をきかなくなってきて心細くなっているんだ。もっと気にかけて欲しい、大切にして欲しい、その裏返しの態度であって、その志に対する思いではないから気に病まなくていい。」

確かに私達は、胸の奥に(本当はあなたに愛されたい)を抱えながら、言葉や態度で(自分の期待通りに行動してくれない)相手を批判してしまっていることがよくあるような気がします。亡き方々が伝える想いと、伝えたあとの大きな安堵/魂の安寧を感じる度に、あぁ自分の心からの想いに素直に忠実に生きよう、なるべくすぐ伝えることが大切なのだ…と思います。

2024.2.27(人を想うように自分を想うこと!)

壮絶なほど唯一無二のご自分を生きた、尊敬する亡き女性に質問した時に頂いた言葉

「彼岸の終わりに、去るわけじゃないけれど、これから光に向かうの。もっと彼に、皆に、光を贈りたいから。身体が宝物だと知ってほしい。全ての人に。力尽きる辛さを、充分にしたいことをし尽くしてからと、事半ばにして味わうのとでは、随分違うから…。

そして、あなたはもっと、目に見えない人の為を想うように、自分を想って生きて。せっかく好意を持たれても、自分の気持ちがそうじゃないから、自分をリスペクトできていないから、違う意味に受けとったりしているみたいよ。どうかもっと自分を客観的に見て、何が自分らしさで、自分にしかできないことなのか、誰に何を伝えたいのかをよく知ってね。」

2024.2.26(心の傷を癒して昇華しましょう)

「誰もが自分のステップ(速度・歩幅)で、脳による思い違いや心の傷を癒して昇華していくんだよ。君にもできるよ。みんなにもね。それをなるべく鳥の羽位にできたらね(その記憶の感情を癒して逝けたら)地球は平和になっていくんだよ。だから君たちのヒーリングは重要なんだよ。fight!」

脱ぐように置き去りにされた…癒されていない記憶の波動と結びつくと、残念な現実が起こるのは本当だと思います。だからきっとホ・オポノポノのクリーニングも大切なのでしょう。

2024.2.24(人の感情は人のもの)

「誰かの怒りや悲しみの話に、感情移入し過ぎてはいけません。それはその時にその人が感じた一時の感情であって、心の奥底からの変わることのない純粋な想いではないからです。自分の心をざわつかせず、その人は今、そんな気持ち/物語なんだなぁと分けて思うことです。」

2024.2.22(宇宙の理/ことわり)

「宇宙の理を識るには、全ての生物/存在への愛、たとえば躓いた石にさえ微笑めるような、受容の大きなスペースが必要なのです。目の前のしたいことをしつつ、あなたが今、有ると思っているもの、信じて疑っていないもの、どこの誰が見ても有る/在るものは何ですか?数え上げてみてください。(家族、弟妹、親戚、友、仕事、職場、お金、食物、身体、名前、空気、酸素、大地、川、植物、動物、鉱物、水、大地、光、愛…)夢があるものはありますか?それらを愛していますか?有るのが当然だと思っていて、ある日突然それを欠いたり、失ったりして、驚き嘆き悲しむことのないようにして下さい。そして夢をそれに託しながら有る!在る!と言えるものたちに囲まれて、ほんとうの笑顔で暮らして下さい。」

2024.2.21(有ると在る)

「次は『有る』と『在る』の違いの学びです。持ち物として持っている、と、どこで誰が見ても有る、見えなくても存在する、は違います。わたしたちから見ると、愛は普遍的に在ります。ところが、気づかない人のなんと多いことか…。それをあなた方スターシードがいち早く気づいて伝え、思い出したり気づいたりするよう働きかけてもらっているのです。」

2024.2.20(悔いを浄化し、慈しみという愛へ反転させる)

2023.3月

「『悔い』を流し失せさせましょう。あなたの中に残っていたあれもこれも我慢したのに、相手を/両親を幸福にできなかった…、自分自身を虐げ、幸せにできなかった…というそれらの悔いを、です。

これからのあなたは、己のそれをできた今日を境に、人々に残る悔いを浄化することができるようになりました。掌で受け、手のひらで慈しみという愛へ手のひらを反す、誠にそのような様相でそれが可能だと識ったのです。その悟りに至るために、多くの時を費やしたくさんの人々との葛藤を体験し、今に至ったのです。誰もがそれぞれの学びと悟りの道を歩んでいます。

今日は新たな自己の誕生を祝いなさい。共に歩む人々と共に、互いの存在を喜びあうことです。幸せは分かち合うことで幾重にも重なりながら強く拡がってゆくのです。か細い不安しかなかった頃のご自身から、天や宇宙、目には見えない全ての存在を信じるようになったことで起こった奇跡の変化、本来の生命の営みや不思議と、愛の循環を目の当たりにしては、喜びに心が震える日々を過ごして下さい。」

「ディバインと繋がりました。」 観世音菩薩・アルクトゥルス

2024.2.19(事故や病やアクシデントについて)

今日は頂いた言葉ではなく、あくまで自分の体験談と想いです。

昨日はがん患者の心のサポートのために開催されている『一歩一歩の会』に参加しました。その会が終わってから、そのカフェにいる私に逢いに来てくれた方がいらっしゃいました。

2017年、都内から三島に引っ越す時に、部屋を仲介する会社で働いていて部屋を案内してくれた女性で(休日に自宅で採れたトマトやゴーヤを届けてくださった)三島で初めてできたお友達でした。その方は今は違うお仕事をしているのですが、時々ふっと連絡をくださって、楽しくおしゃべりする嬉しい時間をご一緒できる方なのです。東京の人混みや雑踏から逃げだすようにして来た静岡ですが、ふと思い返してみると、思い切って来れたのは病のおかげだったこと、その後の嬉しい出会いはどれもこれも、必然だったような気がします。

もし20代の時、二度も事故に遭っていなければ東京へは出なかったかもしれないし、その事故で「もう80代の身体と同じだから気をつけて!」と言われた頸椎の変形が起こっていなかったら、今も都内で販売やサービス業に従事していたかもしれません。

さらにもし、20代後半から長いこと摂食障害に陥って、心療内科やカウンセリングであの先生方に会っていなかったら、今も私は自分の本当の想いに向き合って気づくことも、話すこともできなかったことでしょう。当時の私は鏡を見て笑顔を必死に作ってから店に立って仕事をしていましたが、考え方は常に白か黒か正か誤か、人に意見を聞かれると話が脈絡なく止まらないか黙るか、プライベートは笑うか泣くかキレるか…という日々でした。

それが病によって出会った方々のおかげで、少しずつ生きていいと思えて、素直になるってどういうこと?と考えるようになって、自分が好きなものを売っている時が一番楽しいかも!と気づいたら、今度は偏った姿勢で長時間頑張り過ぎて、30代で頸椎椎間板変性、40代で腰椎椎間板ヘルニア、50代で膝半月板損傷…手術していないので時々ブロックがかかり膝下が捻じれ折れたたような激痛が伴うので、立ち仕事は好きでも8時間は無理と諦めるしかなく、気づいた時には箸や歯ブラシを持つのも痛いほど、親指の関節も変形していました。

そこで、やりがいのありそうな事務仕事を見つけて岡山まで行きましたが、ちょうどその年に世界的に感染症が拡大したため正社員職を失い、仕方なく次の仕事のために健康診断を受けたら癌が見つかって、子宮全摘手術とリンパ節郭清をしました。

見知らぬ土地で働けなくなって不安な療養期間に、岡山で知り合った方に優しくしていただいたり、生活を助けようと快く手を差し伸べてくれた生涯の友に感謝しながら、カウンセリングを学びました。一方で、既にもう…手術できないほど骨にまで進行した癌と戦っていた心の友とのlineや電話でのやりとりを通して、私は自分の無力さと見送る心の持ち方を考えさせられ、翌年彼女は逝去…。亡くなってから「えいこさん!その本を仕上げて伝えて」という励ましと、彼女のご家族たちへ頼まれた伝言…。それらの出来事によって、私は亡き方の言葉をお伝えすることを決意して、怖れながらも公にカミングアウトしました。

もしも、丈夫な身体のままだったら、亡き方々の言葉をお伝えすることはしなかっただろうと思います。彼らは眠らなくていいので(私の思考が落ち着く時間帯に)悪気なく今だ!とばかりに音や電気信号で主張したり、時に嗜好にまで影響を及ぼすので、実は向き合うのはセッション時だけでありません。日々、強靭な精神力と楽観的な気分転換が必須なのです。

それでも、セッション時に共振して感じさせていただく至福の境地、あたたかい涙がほろほろとめどなく溢れる心地は、大切な方へずっと伝えたかった想いを伝えられる歓喜そのものだなぁと感動し、自分まで共に癒された心地になります。そして見えない領域ではやはり皆繋がっているのだと感じるのと同時に、頭ではなく心で想いを聴けた方々はきっとこれから、感じた慈しみや愛を周りの方々に伝えながら生きていかれるのだろうと思います。

ですからかつての事故も病もアクシデントも、たくさんの出会いと、あの至福の境地や慈愛に至る道があると信じて生きるために必然だったのかもしれない、と今は素直に思います。あの痛みや辛さや孤独や絶望を味わったおかげで、やっと素直な自分になれたのだ!と。

もしかしたらこうしている今も、病気や事故や死別や被災…諸々のアクシデントで、とてもお辛い方々もいらっしゃるだろうと思います。でももしかしたらいつか、あの時のあの出来事のおかげであの人やこの人に出会えた、これを知ることができた!と思える時が来るかもしれません。それを願って、世界中の方々の心の平和と安寧をお祈りしたいと思います。

2024.2.17(想像した9割は起こらない…)

宇宙とたくさんの人々の協働によってしばらく大丈夫と感じているのに、震災の備えの食べ物をたくさん買い込んでいる自分に気づきました。恐れを握りしめていたのでしょうか。

「恐れを持つことは人として当然のことです。人は危険を回避したいと願う生き物で、あなたは一人暮らしをしている為、それも理由のひとつでしょう。でも想像したことの9割は起こりません。予想だにしなかった1割が起こるのが常でしょう。

ただ恐れがあるんだなぁ…と見つめて、無理やり否定せず、対策として有効な手段をとって、自分の心を安心へと鎮めてください。そしてそれが万が一起こっても、その時の自他を信じて、もっと楽しいこと、嬉しいこと、今日、今、気持ちがよくて悔いがなく、感動できることをして幸せを味わってください。」

2024.2.16(タイミングについて)

何故〇〇さんのセッション時間も、△△さん来日のタイミングも一切合わないのでしょう?

「それは簡単なことです。(一切合わない…)と決めつけたからです。(次回は合う!)と信じたらいいのです。(やっぱりまた…)と思うことが、合わないもの(と合うもの)を創り出しているのです。あなたは限りなく自由で、創り出しています。」

2024.2.15(身体の隅々まで歓びが満ちるかどうか)

映画を見て、映像も、音楽も、ストーリーも魂の記憶に訴えかけてくるようで、製作された方々の感性や在り方を感じました。自分の想いを表わす、残すって…凄いなと思いました。

「したいことは全部してみましょう。20でも100でもやりたいことを描き、挑戦することです。やる前から諦めてはいけません。宇宙の仲間はあなたが今していることとは、少し違うことをしたがっていたと言っています。そのどれかが正しいとか間違っているということはありませんが、もともとしたかったこととの一致は、あなたの身体の隅々までが歓びに満ちるのでわかることでしょう。何をしている時が一番幸せで在るかを観察しなさい。」

お薦めは「1/4の奇跡」「銀河の雫」「純愛/JUN-AI」「ママのおなかで笑っていたよ」

2024.2.14(御殿場 平和公園にて)

2/11、日本の大難を小難にするべく、神様や土地にまつわる諸々の見えない存在の為にお祈りをしてくださっている方々のことを、TYA-TYAさんのメルマガで知りました。すると、元旦に富士阿祖山太神宮で山に向かい、繋がっている全ての方々の平和と安寧を祈り、後日、白浜海岸の白濱神社で海に向かい(地震の後だったこともあり)日本全土の平和も加えてお祈りしましたが、ふと12日の午後、もっと『祈るように…』と感じました。

実は土地や場には強力な磁場のように…様々な念のような見えない何かが癒着している場合があり、祓う必要がある場合もあるようです。それらの暴走を食い止めるために呼ばれて全国でお祈りをしてくださっている方が大勢いらっしゃるように感じていますが、私自身はお経を唱えることもできないので無理です!と思いながら、白い建物が浮かんだので、御殿場の平和公園に行きました。

そこにはお釈迦様の遺骨(分骨)が祀られた仏舎利塔と『世界平和を祈る丘』がありました。その文字を見たら嬉しくなって一歩一歩歩くごとに「ありがとうございます」と唱え、見護る33観音様やその場を作後世に残して下さった方々へも感謝を伝えてきました。すると


「何も恐れることはありません。特別な所へ行かねばできぬと思う必要もありません。神々の力を借りたい時には、その導きに従って向かい、ただ祈ることです。できる、できないは、あなたが決めることではありません。

すべての先人たちも同じように己にできるのかと問いながらも、続けることでより高みへと 多くの衆生のために祈ることができるようになっていったのです。たくさんの人々の祈りをわたしたちは聴いています。結果というもの、成果というものも、流転する世の常としてありません。

あなた方お一人おひとりが心の在りかを揺るぎない自他への慈しみと愛だけになるよう、心の澱を一滴ずつ浄化しているのだ と 意識してください。誰かの心の平和は、世界中のすべての人々の心の安寧に繋がっているのですから。それも素晴らしい貢献なのです。」

…………

災いを減らすために身を削って祈ってくださっている方々、震災や戦争などで心もとない方々、亡くなってから…行き所のない方々や弔われていないたくさんの存在たち…

生きとし 生けるもの全てだけでなく、目に見えない領域…で繋がっている(生きているとは言えない存在も含めた)すべての存在の安寧を願い、世界中の平和と安寧を祈って感謝していこうと思います。感謝に勝る供養はないように思います。

2024.2.13(モヤモヤを変換する)

「明確な感情になる前に考えが否定し塞き止めているために、モヤモヤしているのです。そのモヤモヤは疲れた時にも多く発生します。神経質にならずに、それすら歓びや期待…いったいこれからどう展開していく?と、客観的に見て楽しむことです。つまり、その原因を探ろうと過去を見ず、これが結果だとも決めつけずに、佳き未来の訪れを心待ちにするのです。」

2024.2.12(思考を客観視する③)

「考えて、人前でどんな風に明るく振る舞うかが大切なのではなく、どんなに小さなことにも素直に感じたままに、人にも自分にも100%心を込めて向き合うことが大切です。その時感じた愛以外の感情や思いも無きものにして無理に蓋をせず、一旦受けとめて、浄化して昇華させ、本当の望みに近づけるように努めることです。

愛について知りたいならば、それは何かと考えるより、愛を感じる歌や音楽や映画や芸術、自然や動植物、好きなアーティストなどにまっすぐ向かい、浸り、それを全身で味わうことです。その感動こそがあなたの活力となり、夢や希望を叶える原動力なのです。せっかくの人生を考えて思考だけで終わらせず、行動してたくさんの感動で埋め尽くして下さい。」

幼少期の家庭の影響もあり、かつての私はいつも人の言葉や目つきや行動などが気になり、それに自分の責任があるように思い、自分が何とかしなければ!と考えていました。それは接客業の時のお客様にはいつも大変好評でしたが、一緒に働いた方々には相当重苦しかったに違いありません。人の気持ちをコントロールしようだなんて、傲慢極まりない話です。当時は私なりに一生懸命頑張っているのに(こんなに我慢しているのに)何故わかってくれないのだろう?と勝手に思って落ち込んでいました…。この場を借りて皆様にお詫びしたい気持ちです。

でも、その長い葛藤のおかげで、現在は誰かが怒っても、今は機嫌が悪いようだな…早く笑顔になりますように!と素直に思って、相手を信じて待てるようになりました。自分の脳が記憶をもとに考える思考や判断と、心からの純粋な想いは別物だと認識できてから、人づきあいも楽になりました。思考を客観的に見て、心とのバランスをとって、沢山感動したいものです。

2024.2.11(思考を客観視する②)

確かに観える時、聴こえる時は何の疑いもありません。龍のような雲を見て判断する…のではなく、目に何も映っていなくとも存在を感じるその時には、思考は働いていない気がします。

「思考ほどあなたのために働き、時になおかつ、残念な結果をもたらしかねない技術はないのです。何故なら思考は(短い期間/今生の記憶とのみ照合してしまい)あなたの心の奥底のたましいの部分は、感じずに、信じようと考えているだけ…ということに100%気づいています。故に何か願いごとをしても、その思考の願いは波動が低いので叶いません。心の奥底から波動的に歓び/喜びを波及することでしか、現実は呼応しないのです。ですから(思考は客観的に観察して)心の奥底で『感じていること』を意識しましょう。」

2024.2.10(思考を客観視する①)

今朝は神山に黒龍のような雲がたなびいて美しい朝です、と書いたら

「示し、印、象りと見る、意味づける等は思考のなせる業です。そのものを見ているのか、角度を変えて見ても同じく感動できるかを心に問いながら、思考を客観視してください。」

2024.2.9(亡き母からのある日の言葉)

9日の月命日には、毎月、逢えないまま亡くなった生母を想い、好きだった料理を作ったりします。義母のことで悶々としていた時、何かしてほしいことはありますか?と訊ねた時に

「(新しい母が)少しでも気にかけてくれてるなと感じると嬉しいでしょう?でも(彼女は)色々と気にかけていることが多いだけだから、そんなに気に病まないで。多くの時を一緒に過ごせて羨ましかったよ。あなたはあっという間に思い込んで、私から離れてしまったから…。

生きている間は難しいわね。こんな意味に違いない!って決めつけてしまうから。でも、身体から出てわかるの。残念なことにもう遅いけれど、こんなに愛されたかったし、愛していたんだっていうことに。だからどうかあなたは、死んでからでは間に合わないから、気にかけて、想って、それを素直な気持ちで相手に伝えてね。諦めちゃダメ。返事が来ても来なくても、自分の想いに誠実に生きて。」

そう言われてから、昔から何をあげても「ありがとう」という言葉だけでなく、つい正直な考えの方も聞かされる反応…を恐れていましたが、自分の想いを尊重するようにしました。嬉しいかどうかも、その後も全てお任せして、私は自分の気持ちに誠実に生きようと思って。すると逆に、とても嬉しい!と心から喜ばれるようになった気がします。不思議ですが、そんなものなのですね。愛されたいと願って決めたことは空回りし、自分の想いに誠実に決めたことは、純粋に相手を想ってのことだから的を得て伝わり、喜ばれる、ということなのでしょう。

2024.2.8(自分を責めることをやめる)

「わたしという光を浴びなさい。それは暖かく心地いいものでしょう。活動時間が日中減ったことは気に病む必要はありません。こうして陽に当たり、平和を心から楽しみなさい。

こんなことをしていては…と、責める気持ちを全て捨て去ることです。何かをしなければ、することに意義が無ければ…と責めることも、人と比べることも、無意味なEgoのなせる業です。表裏対立なくしては存在できないのですから、どこへ目を向けると平安で喜びを感じられるかを意識的に選択することです。」

2024.2.7(無理をしないで自分でいる)

昨年の出来事ですが、ある素敵な映画を通じてFacebookで繋がった方から、私がシェアしている言葉は『御神託』だと言われて違和感を感じたのでそれをお伝えしたら、お怒りになったようでブツっと繋がりを切られました。なんだか残念に思いながらも、そのグループの皆様ともなんとなく疎遠になってしまいました…。でも、本当にほぼ神様からではなく、様々な存在たちから頂くメッセージなのですから…自分を偽ること、妥協することはできませんでした…。

「突然怒る人、怒る時の多くは、期待していたのに期待通りのものが得られなかった時、愛されたかったのに愛されていると愛を感じられない時の叫びなのです。」

口下手な自分にはとても難しいことですが、自分を抑え込んだり無理をせずに、それでいて相手を尊重しながら愛を持って、意見や想いを言えるような自分になりたいと思います。

2024.2.6(全身を休ませる)

緊張し続けているのか、神経が冴えて眠れない、安眠できない…のは何故でしょうか?

「身体が欲しているのは全身の休息です。眠る時に(食べたものの消化で)内蔵に負担がかかっているため、眠りが浅いだけです。胃を空にして休むことはとても重要なことです。ある方がそうしているという情報を得たのはその為です。偶然耳に残ったわけではありません。どんな時もどんな所でも、あなたは目や耳でサインを受けとっています。迷わず試すことです。」

2024.2.5(自分の明日に期待する)

「人の為に生きる必要はありません。誰かの気に入るように在る必要もありません。強いて言えば、ご自身の為に体験を役立て、自分自身の進化を楽しむことです。

どの経験も、どの関係も、より一層ご自身の心からの想いを込めているかを意識し、人にどう思われるかという算段なしに在ることで、素晴らしい体験になっていくのです。相手/人へ期待せず、ご自身の明日へ期待を向けることです。」

2024.2.4(返事が来なくても…)

手紙を送りましたが返事がありません…。でも受けとってくれたようなので良しとします。相手に言葉/反応を期待しないのは難しいことですね…。もう自分を傷つけない!と決めます。

「人の反応に左右されない自分の軸を持つことです。人から自分の期待通りの反応が得られないことを嘆くのは止めて、自己の在り方に、自分なりに納得がいくかどうか、そのことに焦点を絞ることです。」

2024.2.3(自己の成長が人のために役立つ)

2013年にマウイリトリートで出逢った方と繋がりたくてFacebookを始め、時々、目に見えない皆さまからの言葉をシェアしてきました。元来人見知りなので友人の数は少ないですが、その20%近い方が共感してくれる時もあり、驚きと共に心から感謝しています。ただ身体の所々が痛むことが時々あり…身体/魂は何かを残念に思っているのでしょうか?と訊ねたら

「体験にはどれも良し悪しはなく貴重なので、残念に思うことはありません。ただ身体を駆使してまで働かなくてもいいかもしれません。それには楽しみがあり、学びがあり、得るものと、していることへ心を込めるということ、そのことへの周りの反応を知るため、自己の成長度合いを肌で感じる、という役割で行っているとも言えます。

日常の中に嬉しいことが多々あること、それを見つけられること、それを喜びとして表現したり、その周りの人々を励まし元気づけられること、その小さな一つひとつの出来事や交わす言葉が生きたもの、心の奥深くに届くものであるよう努めることです。やりがいとは、自己の成長が他の為に役立っている、と感じられる事なのですから。」

確かに…見えない方々の想いをお伝えする時の自分も、楽しく「いらっしゃいませ!」と販売のパートをする自分も、コツコツ清掃するパートの自分も、どれもこれもが今、目の前の方が気持ちよく過ごせますように♡と願いながら自己を活かすことで、自分自身もまた成長の機会を頂くこと、これが自分の日常における霊的進化/スピリチュアルなのだなぁ…と感じるのです。

2024.2.2(自分たちの本質を知るために出逢う)

都内にいた頃、ある人といてふと、迫害されたユダヤ系の祖先がいる…と感じました。本人は病を過剰なほど意識して、まるで病と社会に迫害されているかのように悲観的に生きていてとても辛そうでした。何故、祖先と癒着したような人生を歩む人が観えたり、あるいは私自身がそれを感じた…ということは、その人は私のたましいのグループなのでしょうか?

「たましいのグループというほどでなくとも、親しい関係に生まれることを望む存在はたくさんいます。ただ大概(前世で)心をopenにしなかった分、今世でありのままに生きて(理性で自己を)飾ることがないような生き方をしているために観えやすい場合があります。大切なことはグループかそうでないかではなく、世間の目/社会の窓から見えている部分と、たましいの在り方は違うことを見抜き、本質を理解できるようになる学びとしての出逢いなのです。」

2024.2.1(至福の気分を持ち続ける)

思うことは多々あれど、陽の光が暖かくて気持ちよく、身体は健やかで存分に満腹まで食べることができて、働きに行くことも、気分転換することもできている…なんて幸せで豊かなのでしょう。ありがとございます。と伝えたら

「その豊かな至福の気分を持ち続けることが、人生において幸せを招く最大の秘訣です。さぁ今日、今から、不足感ではなく、あるもの、想うことで幸せになれる愛するものや夢を大切に抱いて、笑って過ごして下さい。」

2024.1.30(現実が違って見えても、信じる)

「『俺、運悪いんすよ。運、あげちゃってるんですかね~…。』そう言って笑った彼にあなたが伝えた言葉は、あなたへの言葉でもあります。『与えたものが得るものだから、たくさんあげて喜ばれて一緒に喜んでください。今もの凄く運が貯まっていますよ!楽しみですね!』

近しい方々からあなたに逢うと運がよくなる!流れが変わる!と言われる度に(何で?私?それって本当?)などと疑っている場合ではありません。彼が願う夢にどんどん近づいているように、あなたもまた、自分の本当の願いへの道を順調に進んでいます。

そうは見えないようなことの中にあっても、信じることです。その想いの強さが日常の出来事を乗り越えさせ、死を目前にして心細い方々や死別によって沈んだ心の方々を励ます原動力となり、あなた自身の心(たましい)がどんどん満たされてゆくのです。」

2024.1.29(在り方で導く)

「人に教えよう、諭そうとする必要はありません。誰もがお互いを導くために存在しているのです。嘘をつくより正直でいる方が、拗ねるより素直に泣きながらでも伝える方が、あなたも誰かも心地よくいられるように、ただあなたが感じたままを伝えることです。」

2024.1.28(余命宣告されたご家族を介護されている方へ)

「自分でできている、頑張っているつもりのことはなるべく見直したり、それを本当に喜ばれているか確認しましょう。自分で出来ていないつもりのことは、大方受けいれられ喜ばれていることでしょう。つまり、考えて意図的(相手の為、健康の為)にしていることは、ご本人にとってはあまり嬉しくないことが多いものです。

ご本人が心からして欲しいことを、与えることができるあなたになるのです。それは少しでも正解を与える/してあげるということではなく、ご本人の心からの希望を叶え、満足と喜びと幸せを感じてもらえる喜びを、あなたが感じさせてもらえる、ということなのです。悔いのないお見送り(お看取り)も愛の授受です。」

医師の指示通り塩分を制限しなきゃ、お酒はだめ、この薬は絶対…等々と、少しでも長く生きてほしくて、よかれと考えて接すると思いますが、もし余命幾ばくも無いような場合には、ご本人が望むことを叶えた方がきっと後悔がないと思います。相手への愛なのか、自分のエゴなのか、自己満足なのか…と悩むこともあるかもしれませんが、できるなら自分の考えは全部脇に置いて、ありがとう♡という気持ちで旅立たせてあげられたら嬉しいだろうなぁと思うのです。

この言葉をお伝えした方から「心に沁みました。看取らせて貰ったことに、今は心底感謝しています。」とご報告を頂きました。故人のご冥福を心からお祈りするとともに、きっとこれからの彼女や娘さんの人生を見護って、共に感動していかれるのだろうなぁ…と感じています。

2024.1.27(今日を笑いあって生きる)

「愛されたかった人のこと、理解して欲しかった人のこと、伝えることができなかった自分、理解してあげられなかった自分、やらなかったこととやってしまったことへの後悔…、そんな過去や不毛な関係性ではなく、まさに今、同じように感じたり、思いついて素直に話しあえる人のことを想いなさい。その全てを、共に笑いあって生きるのです。

失敗はいつかの糧であり、人生はそれぞれが個として感じ取れたことをどう咀嚼するか自由なのです。喜びや感謝を、まるで自分ごとのように人のことまで共に喜び、お祝いできる境地こそが肝心です。死別や自他の死を控えて心細い方の力になれるように、目的を持って、そこへ自己を高めることです。」再掲

様々な思いから解放されて純粋なたましい/spiritに還ることができると、自分のために何かしてもらうより、自分との関係性で学んだことや感じたことを活かして、大切な人に愛や幸せを感じて生きてほしいと皆さまおっしゃいます。成仏できた存在は後悔や懺悔を望んでいません。

2024.1.26(すでにある豊かさに気づいて恩送りする)

「豊かさを味わいましょう。窓から差し込む陽の光の暖かさ、誰かと心を通わせ励まし合える歓び、幸せで健康でありますようにと心のこもったプレゼントのやりとり…。言葉ではない想いが伝わってくる何か、今それを歓びに満ちて味わうこと、それ以上の豊かさはないでしょう。常に今ここで、このままで目に映るもの、人々、していること、しようとしていること、その一つひとつに愛情を持って向き合おうとしている、向き合うことができている、その最幸のギフトを感じ、受けとり、感謝と共に誰かに手渡しましょう。それが恩送りです。」

2024.1.25(楽しむことを躊躇しない)

気持ちは欲しいのですが、先々を考えると申し込めないでいます…と伝えたら

「よくできています。よく頑張っています。楽しむことが生きがい!ということが得意でない故に、仕事をするために生活を整え、心を整え、精一杯頑張る…それは充分できています。あとは人生を旅するように遊ぶことを、ただ喜びの声をあげる時間を過ごしましょう。」

2024.1.24(過ぎてみれば『幸い』起こることはベスト)

2022年12月、感染症に罹患した時のことです。ワクチンを打っていないこと、癌サバイバーは重症化しやすいと聞いていたため、いったいどうなる?…と身体の変化を真剣に見つめました。すると、39度の熱と具合の悪さが少し落ち着いて、食べることができるようになった時、味覚の変化に驚きました。糖類/甘味に激しく反応し、大好きなはずの甘さに拒否反応を示したのです。そこで、そのウイルス?菌?は、私の身体を乗っとったのでしょうか?と書いたら

「その生物は、あなたと共に生きようとしています。腸内の細菌たちと何ら違うものでなく、地上で動植物達と共に太古から生きてきたモノたちのひとつです。知性を持っているわけではありませんが、生か死かにおいて、より健やかに強かに生きるために、好ましくないものは宿主の過去の嗜好すら、排斥する傾向にあります。一致団結することができると、より強固な肉体が作られてゆくことでしょう。」

砂糖や人工的な甘味料を避けたのは3カ月のみで、今はもうスイーツが大好きな自分に戻ってしまいました(笑)でも、その感染で仕事を休んだ期間、あまりの具合の悪さに初めて一人暮らしの心細さを感じたり、頼られはしても頼れなかった家族関係について『内観』ができてハッと気づきが起こったり、裾野に引っ越してから出会えた親友からの差し入れや優しさに触れて感動して涙したり、…今思うと、私にとって感染症は幸いそのものでした。その時にはそうは思えなくても、やはりきっと起こることはベスト(自分に必然なのかも)ですね。

2024.1.22(素直に受けいれる)

日々のルーティンを見直さなければ…。だからきっと、うまくいかないのですね…

「いいえ、うまくいっているのです。毎日よく眠れてよく食べられて働きに出かけることも、楽しい時を過ごしに出掛けることも、身体の健康も、友人も、気にかけてくれる親も、言葉も態度も、あなたの期待通りでなくとも、多くの幸の中で生きていることを、心と理性両方で素直に受けいれることです。あれがない、こうじゃなきゃ、と自身の思い込みや過度の期待が自分を苦しめているだけなのです。もう充分に願いは叶っています。次の願いを明確に描くことです。そしてすでにそれを生きている!と喜ぶことです。実際にそうなのですから!」

2024.1.21(期待の仕方)

「明日奇跡が起こるかもしれない!と、ただ期待するのではなく、もう少し頑張ってみたら風向きが変わるかもしれない!、道が拓けるかもしれない!うまくいくまで諦めないで続ける!と決めること、私にはできる!と信じることが大切です。」

つまりコツコツと、今日できる努力を続けてゆく、ということですね。

2024.1.20(マウイ島で会えたRam Dass氏を偲んで)

2013年、アランコーエン氏のリトリートでマウイ島へ行った時に、予期せずしてラムダス氏に会えました。彼はアメリカで瞑想やマインドフルネスを普及させる元になったと言われている方で、スティーブ・ジョブズ氏が「最も影響を受けた」と言ったことから、さらに有名になった方でもあるようです。

その当時、半身不随のため車椅子で講義をしてくれましたが、講義は話す言葉が途切れ途切れでゆっくりで…彼の意識は流れる川の水のようであり、その上を共に流れる風そのもののようでした。「I am loving Awareness」(訳:私は愛の意識です)と何度かつぶやいて、話しながら半分瞑想しているような状態で、在り方が『Be Here Now』の動画のままでした。会えて、あの独特な(生きながらにして恩寵の中に在るような)波動に触れられた事に深く感謝しています。

「短かったね。人生は、何もしなかったと嘆くか、楽しかったか、だけだ。」

2024.1.19(人のために働く)

「信じることはできています。『でも…』『ただ…』が多いのです。何にでも『Yes!』『はい!』起こることはベストです。不確かな時代、まさにそれを味わってみたくてきたわけですから、そこで不安なく生きていけるようになるには、と考えましょう。依存心を手放し、どんな気持ちで、何をするかです。何かは選べます。誰かを楽にするために働くことです。」

2024.1.18(大丈夫と信じる)

震災に遭ってしまった方、身体に痛みがある方、心を病んでいる方、前を向けないでいる方、気にかかります…。

「どんな人にも、突然とんでもないことが降りかかります。でもそれは大地がある地上でのこと。空/宇宙に還ってからでは、身体全体で感じることができないとても貴重な体験なのです。信じることです。あの人も、この人もきっと大丈夫なのだ、と。心配は愛ではありません。

自分が信じた通りに、人の生は展開されてゆくのです。愛というものがなければ誰も存在していません。今まで自分に起こった全てを乗り越えて、今のあなたがそこに在るように、全ての人々もまた乗り越えられるのです。それを目指して生まれて来た人々なのですから。愛という強い光で祈り、いつかきっと乗り越えるその方々の笑顔を想い、心から信じることです。」

2024.1.17(植物に愛情を注ぐ)

サボテンが元気が無くて、水が欲しいのか要らないのかわからなくて試行錯誤しています…

「自分がされたいようにすることです。心を澄まして、しっかりと目を配り、日々折々話しかけ、愛情を注ぐことです。植物は聴いています。」

2024.1.16(自分が情けないと思った時に)

「自分を情けないと思うのは、そうではない自己を知っているからです。理想があることを、今ここで思い出しなさい。あなたはまだそこに生きて、人生を創造しているのです。誰かに酷いことを言われたとしても、それが何だというのです。あなた自身がそう思ったり認めなければいいのです。これからその先へ、さらに一歩先へという道へ向かって行けばいいのです。」

確かに、自分で自分を卑下しているからきっと〇〇〇と思われているに違いない、皆そう見ているだろうと思い込んでしまうようです。私のダメなところを笑って受け容れ、それでも愛してくれる親友たちのように、自分の一部にいちいち落ち込まず、前向きに次の一歩を進みたいと思います。

2024.1.15(コントロールしようとしない)

物事が停滞し、体力が著しく低下していることに気づいて落ち込んだ時に

「自分に疑心を持っていること、自信を失いかけているのは、期待と現実をコントロールしたい気持ちや願いが大きい故です。その誤りの元はさらに、不満からきています。こんなはずではなかった…、と。ではどう在りたいのか、その部分にきちんと目を向けて明確に目標立てることです。今は誰もが、したいことができる素晴らしい時期を迎えています。つまりフラットにいられている、と気づくべきなのです。やるべきことと自分との主従関係は、苦しいものです。考え方に、それをどう楽しむか?という視点をくつけてみることです。」

そこで、筋トレのつもりで身体を動かすパートを始めよう!と思い立って実行し、初めはきつかったですが、安静にしていて出来なくなっていた和式トイレに入れるようになりました。

2024.1.14(クジラのような在り方)

「クジラのような生き方をしなさい。彼らの愛は、大きな身体に似合わないほど繊細なささやくような歌声と、家族で寄り添い、歓びを通い合わせ、平和を好んで戦うことを決してしません。殺生は生のために行う最小限に、そして恵みを受けた分の貢献を、波動/波長として多くの生き物に影響を与えています。何かを与えようとせずとも、歓び、共に在ることを祝福しあう生き方、それが彼らの在り方です。」

2024.1.13(周りに感謝し、思いやれる自分になるために)

「美しい空に、雲に、光に、小鳥の声etc.…に感動する人々がどんどん増えているのは素晴らしいことです。宇宙の星…残念ながらかけらになってしまった星々も、かつてはその美しさを誇ったものでした。どうか愛を大切に繋ぎ合わせて、心の波動/波長を整えてください。それは地球を癒し、存続するためにとても大切なことです。まだまだ先のこと…ではなくなってきています。それは怖れからではなく、今日しかないと思って行動すること。そして、ないがしろにしたり我慢している自分自身に希望と喜びを与え、癒し、満たすこと。それが周りへの感謝と思いやりに繋がり、環境や自然や地球に優しい暮らしを心掛けることに繋がるのですから。」

2024.1.12(ポジティブとは)

考え込んでも、以前よりポジティブに変わりやすくなってる!嬉しい!と書いた時に

「そうです。嬉しい!嬉しい!嬉しい!その気分、心持ちこそがあなた方の本質、肉体を持てた喜び、生まれる時の苦しみとあの恐怖が安堵と喜び/歓喜へと変化した、誕生の時から始まって繰り返していることなのです。

人の感情や思いに、自分以外の誰も責任は持てません。個を体験するために生まれた故です。つまり誰がどう思ってもそれより大切なことは、あなたがあなた自身(実はわたしたち)そのものをどう思い、接し、扱うかということです。

これから少しずつ、自己イメージの変化を感じてゆく時を誰もが迎えています。つまり一人でめそめそ泣いている…、何も手につかなくて途方に暮れている…ご自身を知るあなたは、自分をその程度の人間だと思っていますが、周りの方々の目に映るあなたは真逆で、強さや芯や気骨があると認識されていることを知るでしょう。そのどちらもが全てご自身だと笑って捉え、受け容れて喜ぶことです。いつも喜び/歓びを感じやすい自分でいることを選択することです。」

2024.1.11(本を完成させた時に頂いた言葉)

「今聞こえたベルはさぁスタート!という音ですよ。これが結果ではなく、これからがあなたのすべきこと、したいことのスタートなのです。誤解もあるかもしれません。拒否もあるかもしれません。でもこれだけは確かです。あなたが何を感じ、何を伝えたいと思っている人間であるのを世に知らしめたのです。あなたがしたいことには、愛が軸/動機として在る「わたしたち」と常に共に在ること。それが必要かどうかは人々に任せなさい。不要な人に媚びる必要もありませんし、意識の片隅にこのような世界があるということを入れていただければ、いざというその時、あぁこのことか!とご理解されるでしょうから。さぁ立ち上がり、もっともっと楽しんで、歓んで活き活きと暮らしなさい。皆があなたを応援して、微笑ましい想いで観ています。その他の方々をも同様にです。それを、あなたはこれから伝えてゆくのです。」

2024.1.10(夜の闇ばかり見ない)

「どんな時も、今していることは佳きことへと繋がっている、そう信じて疑うことなく進むことです。せっかく陽は登り、照らしてくれるのですから、夜の闇ばかり見る癖は手放しなさい。朝だけでなく昼も夜もあってこその一日、その人生なのです。

あなた方を取り巻く全ての見えない存在の想いを、一言で表すのは難しいでしょう。ただどんな時も、わたしたちは在ること、繋がっていること、見つめ続けている存在がいることを伝えていただければ、それで充分あなたは役割を果たしていることになります。正解とか誤りというものはありません。(伝えたい想いに)愛があるかどうかなのです。」

昨年は故人セッションに感動して帰られ「後日感想を送りますね!」と言った方々から連絡が無くて正直さみしい思いでいました。私はお役にたてなかったのかしら…、それとももう見えない存在との繋がりは彼方のものになってしまったのかな…と。でも年末やお正月が明けてから、元気メールを頂いてホッとしました。きっと、各々の歩みで受けいれていくことなのですね。

2024.1.8(たった今から、生きたい自分を生きる)

「今まで思う/願う通りの人生ではなかった…と思っているようですが、それを選んで体験したこととして、面白いストーリーだったと言えるように視点を変えましょう。多くのことより一つのこと、今気づいたことを素直に感じることを大切に生きてください。そして願う通りでなかった頃、ご自身が欲しかった言葉を周りの方々にかけましょう。ご自身が望んだ言い方で伝えるのです。その言葉と共にその方々はこれからの人生を生き、あなたはその言葉と共に彼らと生き続けることができるのです。想いを込めて言葉を選び、生きたいご自身を生きてください。あなたは今から本当のご自身を生きることができるのです。歓びだけを選んで下さい。」

2024.1.7(想いは変容する)

「亡くなった友達、家族、親族、知人の方々の無念の思いは、愛の想いに変容しました。あなたの悲しみとそれを乗り越えたあなたの想いが、彼らの心/たましいを癒したのです。これからは死を恐れるのではなく、生の最期の瞬間まで何が起こるのか、ご自身の変化を観察するように、心の起伏をしっかりと感じて生きてゆくことです。あなたも誰もが、ちっぽけな存在ではありません。眩しく輝く陽の光のような存在で、周りの全てを輝かせることもできる、光の存在たちなのです。」

2024.1.6(誕生日プレゼント)

昨日の誕生日に、手編みのカメ人形を頂いて感動しました!嬉しい!嬉しい!嬉しい!ありがとうございます!と、嬉しくて泣きそうになりながら書いたら

「あなたの喜ぶ姿を、あなたを想うたくさんの存在達、spirit達が喜んで嬉しそうに見ています。あなたが嬉しい時、幸せな時を見ることがみんな楽しみで仕方ないのです。ご自分は独りだ…と寂しさを強く感じている方々にもそれが伝わるように、これからその愛を伝え拡げていってください。すべきこととしてではなく、愛をあなた自身が感じ、味わう人生として行うのです。余分なことは笑顔で感謝してクリアにして、幸せを感じる力を呼び覚ますことへ意識を集中してください。自然の中にいる時と同じような波動を出せるあなたになるのです。」

2024.1.5(生きる時間には限りがある)

くよくよ考え事をしていた時に

「地上での限られた時を、たくさん感じて楽しんで生きるチャンスがあるのに、もったいない生き方/考え方に縛られないことです。ご自分なりの心地いい時間は、必ず誰もに共通するものがあるので、それを分かち合って生きてください。」

2024.1.4(愛の想いで 旅立ちを見送る)

今年初のハグをしました。大切なパートナーをご自宅で見送ろうとしている、再会した女性の背中は痩せて小さくなった気がしました。毎日oilマッサージをし、好物をこしらえ、一生懸命『愛』であろうとされていました。そんな風にすることができる人はどの位いるでしょう…。かつての日本では当たり前だったのかもしれませんが、環境や状況、そして心構えも含めて、本当に大切であると同時に、大変なことだと思います。

心では愛であろうとしても、私達は人間ですから、言葉が足りなかったり、多すぎたり、腹をたてたり、心配もしてしまいます。…ただただ精一杯、自分ができることをするしかないですよね…と書いた時に、頂いた言葉

「自分でできている、頑張っているつもりのことは、なるべく見直したり、それを喜ばれているか確認しましょう。自分でできていないつもりのことは、大方受け入れられ、喜ばれていることでしょう。

つまり(健康の為、相手の為と)考えて意図的にしていることは、あまりご本人には嬉しいことではないことが多いものです。本当にご本人がして欲しいことを、与えることができるあなたになるのです。

それは正解を与える/してあげるということではなく、ご本人の心からの希望を叶え、満足と喜びと幸せを感じてもらえる喜びをあなたが感じさせてもらえるということなのです。

お見送りも、愛の授受です。」

たとえ直にお見送りできなかったとしても、亡き方が喜んでくれるような生き方をして、感謝を伝えていきたいですね。震災や事故等で辛いお気持ちの方々の心の安寧を祈ると共に、細やかでも自分が今日できることをして、幸せや感謝を感じて生きたいと思います。

2024.1.3(悲観しない)

「手放した恐れは、いつでも記憶によって呼び起されがちです。震災映像を目の当たりにして、幼い頃の体験の恐怖が甦っているようですが、客観的に見ることが大切です。震災は遠くで起こっているのに、自分があたかも今ここで被っているように悲観しないということです。気分を流されることなく心を澄まし、無事を願う想いを静かにあたためるように祈り、今日できることを誠意を込めて行うことです。」

2024.1.2(本音とは)

「本音とは、心に沈殿している泥のようなものである。大雨で濁流となって流れることもある。その本音という泥を沈め/鎮め、自己をクリアにして(自分の透明度をあげて心の蓋をひらき)たましいに近い心の本心/真心に向き合うことが大切です。」

本音そのものが自分の本質ではないそうです。時折現れるブラックな自分もゆるしましょう。

2024.1.1(嬉しいこと、嫌なことどちらを繰り返し考えるかが分かれ道)

2023年は、生きているうちに辛い思いを癒すことの大切さを、未成仏だった方々から学びました。私達は日々、後悔や満たされない思いも抱いて生きていますが、その辛い思いを消化/昇華できる人とできない人がいるのは、思考の癖が違うからかも…と思い至りました。

日頃辛いことや苦しいことや嫌なことがあると、必ず何度も何度も頭の中や心の中で、その嫌なことをリピートして考えて、自分や誰かを責めてしまう思考癖です。

一方で、毎日幸せを感じて暮らしていたり、迷わずに成仏できた方々は、その体験の辛さそのものを消去することは出来なくても、常にその辛い体験より、楽しかったことや喜びの体験の方に視点や気持ちを集中させて、その時の幸せな気持ちや気分を長く持続させることがうまくそれが結果的に、辛い嫌なことを大したことがない過去の体験にしてしまえるようなのです。

たとえば、私のセッションカウンセリングを受けて下さった方も、セッション中に亡き方やガイドの愛を感じて幸せな気持ちになって涙をポロポロこぼされても、帰った翌々日にはもうそれを遠い記憶にしてしまって、目の前の現実問題に翻弄される方と、当日感じた心の奥/たましいだけでなく、脳にもきちんと刻んで、前進できる方とに分かれるように思います。

前進するのは、前後にあった不思議な出来事や当日の感動などを忘れないうちに書き留めたり、話したり、感想を細かく書いてくれたりした方々です。その行動で目からも耳からも『愛されていると感じた喜び』がリピートされて脳に記憶されるので、現実に負けそうになってもそれを思い出しやすく、その存在たちのためにも幸せになろう!と頑張れるようなのです。

私達の脳は、いつもと違う考えや感じ方は危険!と捉えて記憶から排除しようとしますし、気をつけなきゃいけないことやしなければならないことを優先する、誰が敵で誰が味方か!と人を判断することに忙しい…となりがちです。

でも、心からの幸せを感じて生きるためにも、亡くなってすぐ成仏するためにも、日頃から心を澄まして『愛したい、愛されたい』という本当の想いに正直に素直になって、些細なことでも嬉しい!楽しい!出来事や体験に感動して大喜びする感性を、心にも脳にも身体全体にも、育むことがとても大切なように思います。

実はネガティブな思考型で小心者の私自身の2024年の目標として、日頃、何気なくリピートしてしまう思考に気をつけて『嬉しい!楽しい!ありがとう!にフォーカスする!』と、ここに書き記しておきたいと思います。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2023.12.31(『考える』から『感じる』へ)

「(亡くなった方の本当の)想いは、人の生き方や余命をも変えるのです。『考える』から『感じる』へシフトし、感じる利点を活かして伝えて下さい。」

2023.12.30(正しいか誤りか…ではなく、愛を動機に行動する)

「やろうとすることは、正しいか誤りかではなく、タイミングに全てかかっているのでもなく、信念を自ら試しているのだ、と知って下さい。人のためにできることとして選んだそのことを、自信を持って行うことです。誰に何と思われようと。愛に生きること、動機に愛を軸にすること、すると、学びは喜びへと変わっていきます。」

昨日、前日に頂いた手作りパウンドケーキのカットを写真に撮ったら、気泡がハートの型になっているのに気付きました。嬉しくなったその瞬間(あ!この方の、亡くなったご主人からのありがとうだ!」と感じて心を澄ませました。すると、ご主人からの想いが聴こえたのでメモし、ちょうど偶然その方が映画を見ると聞いていたので、急いで印刷してお持ちしました。

始まる前に入口で渡す予定が、年末で混んでいたので逢えず、これは私も見た方がいい映画なのかも…と『窓際のトットちゃん』を観たら、やはりウルウル感動しました。その後、無事に逢えて、驚かれながらもお渡しすることができました。自分のすることに自信を持つこと、自分を信じることは、常識を優先して考えてしまう脳によって揺らぎがちですが(予定は大幅に変わりつつも)直観に素直に従って行って、とても喜ばれて、私もとても嬉しかったです。

2023.12.28(本で伝えたいと思ったこと)

まだ本を書いている頃に、目に見えない存在に何を伝えたい?と訊ねられました。私は考えて『亡き人の想いは、遺された私達の生き方を変える』ということ、と答えたら

「よく正直に認められましたね。それこそが(亡き両親の本当の想いを知って、考え方が180度変化した)あなたの本当の気持ちです。あなたは人と繋がることを恐れながらも、人が大好きだった自分を思い出す必要がありました。もう正直に、本当の自分の個性を楽しむ体験へと一歩踏み出しなさい。それにより個性豊かな方々と繋がり、喜びが大きく増して拡がってゆくのです。これからを、歓びに生きる!と決めなさい。『繋がる』と『求める』は+-が引き合うのと同じく必然なのです。ありのままをさらけ出しなさい。」

2023.12.27(前世を塗り替えてくれる出逢いもある)

「中国に対して偏見を持っている!日本も同じアジアなのに!」と、結婚したての頃、元配偶者に言われました。それは彼の中国赴任が決まった際、ついていくかどうかの話をした時「あんな所、絶対に行かない!」と強く言い放ったからでした。当時理由はわからないけれど、確かに行ったこともないのにも関わらず、本当に中国が大嫌いだったのです。結局彼は単身赴任をして、携わった仕事の合間に、一時的な観光だけなら…と、一人で行くことになりました。

飛行機が下降して黄土色の大地が見えた瞬間、中国にいた頃の自分の過去世が脳裏に映りました。それは、黄土色の大地を流れる川の浅瀬で、大人の服を踏み洗いしている、瘦せこけてすねが細いとても貧しい子どもの姿でした。残念ながらおそらく、大人になるまで生きられなかったようでした…。あぁ…だからあんなに嫌だったのか…と思い、納得しました。

グローバルに仕事がしたいと願い、見えない存在が大の苦手で怖がりの彼とは、その辺りから不穏な空気が流れ始め、結局離婚に至りました。その後、恵比寿で出会った、正直で頑張り屋さんの中国人女性との心/たましいの交流によって、私の大昔の哀しみの癒しが起こり、中国への偏見もなくなりました。離婚した元夫も、今は親友です。私達の人生の出会いを決めるのは宇宙なのか見えない存在なのか自分なのかわかりませんが、本当にうまく仕組まれています。

202.12.26(自然の中へ!)

「美しい自然の中へ出掛けなさい。夢を描きなさい。共に笑いなさい。身体を動かして楽しみ、疲れて眠る、そんな日々にしなさい。それを(病気になりたくないから、死にたくないから…ではなく)歓びからすることです。わたしはあなたです。あなたを永遠に愛してやまない存在です。自然の中へ出かければ、たくさんの精霊たちも、あなたの幸せを願っています。」

2023.12.24(幸せになる、のではなく、すでに幸せ!)

「愛に生きて下さい。まだまだその場にいたかった…という想いで見ている、たくさんの存在たちの分も(生きることができて)幸せ!と認識して、愛を受け入れ、与えて生きて下さい。」

ついつい疎遠になっていたり、喧嘩したり、会話が少なかったり…だとしても、クリスマスに乗じて大切な人に素直に「本当はあなたを大切に想っている」と、相手が理解し心から感じられるような言葉や行動でちゃんと伝えられたらいいですね。悔いなく生きるために、自分自身のために。そして願わくは、会ったことはなくても、寒い中頑張って下さっている生産者さんや流通者さん達にも、心から「ありがとう」を伝えられるような自分になりたいと思います。

2023.12.23(前世について 筆者の思い)

今日は前世について、自分が学んだことを書きたくなりました。実は時々、誰かといて、緊張が解けて思考も途切れた一瞬にふっと、見たことのない姿が脳裏に浮かぶことがありました。一緒にいるその人より背の低い外国人で衣の色が独特な僧侶であったり、ローマとかの古い時代を描く映画に出てきそうな装束のはだしの女性であったり、「アメリカ人のこの方のおばあさまはユダヤ系の血をひいていて…ご苦労されたのですね」と頭の中での会話が聴こえたり…。ただ、それを伝えるのはいいことではなさそうだ、と思うようになりました。

何故なら私達の思考は、いつの時代、どこの国で、何をしていたのか、そしてこの現世でしなければならないことがあっているのではないか?それはいったい何?…等と、囚われてしまうからです。2020年頃、哲学的な思想で諭すように的確に語る存在に名前を尋ねた時、聴こえたお名前に仰天してつい「えぇっ?あの〇〇〇〇さんですか!?」とわくわくして相手が言おうとしていた言葉を聴かずに問い返したら、ふぅっ…と消えそれ以来その存在は来なくなりました。